コロナ禍と歴史への自問自答

ぼくがこの文章を書いている2021年1月7日、日本では緊急事態宣言の再発令が決定しました。ぼくはかねてより、このコロナ禍において自由の拘束は歴史的にみてもおおきな価値観の転換になりかねない、とちいさいながらも主張してきました。そこで、それをできる限り発信するようにしています。しかし現実は、自由の拘束にかんする議論は活発化せずに、法的な拘束力をもつ法案の制定は刻一刻と迫っています。そして緊急事態宣言は発令されようとしています。幸いなことに、この緊急事態宣言には法的拘束力は組み込まれていません(そこへの批判はおおき巻き起こっているが)。しかし、飲食店にたいして営業時間の短縮を要請するとともに、それに同意しない店舗に関しては、店名を公開するというほぼ罰則といってもいい処置がとられることが決定していますから、これはこれで、危機のひとつだといわなくてはいけません。

今回の新型コロナウイルスは致死率が1%ていどで、人類が滅亡するようなことはありませんが、感染力の高さから、継続的に死者数が増加、そして医療体制がひっ迫し、経済が縮小するという悪循環が起きています。そこに原因を発して、冷静なコロナ禍への対策はふたつに分けることができると思います。

ひとつが、犠牲者をあるていど受け入れながら経済を、社会をまわしていく派

もうひとつが、早期に強力な対策で感染を封じ込め市中感染を限りなくゼロに近づけたうえで、そのあと経済をまわす派

このどちらがただしいのか、しょうじきぼくにはよくわかりません。しかもどちらにすすむとしても(種類の違いこそあれ)いばらの道であることは変わりありません。そしておそらくおおくの国民は後者を支持していると思いますが、ぼくがここで書いておきたいのは、歴史にとってこのどちらが好ましいのか、ということで、ぼくにとってそして一部の歴史家にとってこの問題はたいせつだということです。

ぼくはかねてより、「教訓としての歴史」に否定的な考え方を明示してきました。それは、ぼくたち人間は未来志向(思考)はできるものの、結局未来そのものを知ることはできず、どれだけ過去を教訓として未来への道筋をきめたとしても、未来はその教訓を上回るから、と考えているからです。そこから過去を教訓化することへの無意味さにも注意してきました。それはこのコロナ禍をみれば一目瞭然で、ぼくたちはいま目のまえの恐怖におびえ、ある側面における歴史的な教訓が含まれた積み重ねを放棄しています。その側面とは《自由》です。それとともに教訓も捨てようとしているのです。

日本のはなしだけにしますが、日本は戦後、戦前戦中の抑圧的な不自由な時代への反発心から出発し、不格好ではありながらもそれなりに自由な社会をつくってきました。進歩を基軸とするマルクス史観が退廃しても、この自由な社会だけは守らなければいけない、とされてきたはずです(自由は終わることのない超歴史的なものだとねがってきた)。この反発心は教訓と言い換えてもいい。戦中のさまざまな圧迫を教訓として、あの世界に戻ってはいけないと、つよく志してきたのが戦後日本のさまざまな活動でした。しかし、このコロナ禍でそれは意外にもあっさり捨て去られてしまいそうな雰囲気が充満しています。さきのコロナ禍へのふたとおりの対策の後者にその雰囲気があります。法的拘束力をもつ私権の制限をあたりまえのように一部の国民は政府に望んでいるのです。ぼくはここに教訓としての歴史学の敗北、もしくは死をみてとります。日常から切り離されて固有化された、コロナ禍という時代において、自由さは悪であり、不自由さが正義となっている。コロナ禍以前の日本社会の価値観とは逆転してしまっている。これは歴史や戦後民主主義の根幹やおおきなダメージをあたえる重大な問題です。なぜなら、ぼくたちがこの固有化された時代(コロナ禍)において、自由が悪で不自由が正義という価値観を認めたそのとき、同時に、戦後日本が自由な社会をつくるために反発し批判しその原動力としてきた、戦中の不自由な社会を肯定せざるを得なくなるからです。その肯定の理由はコロナウイルスと同じような、外国という脅威が戦時中にはあったから、となります。

そうなれば、歴史的な教訓として戦前戦中を批判してきた戦後日本の根幹は揺らぐことになります。これからさき、歴史家は、こどものなぜ歴史を学ばなければいけないのか、という無邪気な質問に、過去の教訓を現代に生かすため、と答えることができなくなるのです。戦時中を肯定しなければいけなくなったぼくたちは、もう「教訓としての歴史」という嘘をつくことができません。

なぜ、こんなことに陥ったのか。

ぼくが思うに、これまでの「教訓としての歴史」は、個人という規模と、社会的集団としての規模とで可能範囲がまったくことなる、ということに意識を向けてこなかったからだと考えています。いわば、現実的な範囲ではなく、希望的範囲にのみ終始していたのではないかと思うのです。教訓はもともと個人的な人生に合致するものしか教訓化できないはずです。そしてひとびとの人生は多様であって、そこに集団的な教訓を作るのは非常に難しい。にもかかわらず、従来の「教訓としての歴史」は意識的になのか、無意識的になのか集団としての教訓として存在してきました。しかし、それはこのコロナ禍で否定され、もう使い物になりません。

ぼくがこのブログでいちど、歴史は趣味、と断じたのはこの集団としての共通教訓につよい欺瞞性を感じていたからです。それは、これまでの短い人生のなかで、個人的な意思(個人としては最良だと考える意思)は集団のなかでなんの価値ももちえないときがあることを知ったことが影響しているのだと思います。社会的な雰囲気に集団は大きく左右されます。もちろんその雰囲気の作用は個人にも届くし、個人として愚かな選択肢しかできないときもあるし、なにより、個人だろうか集団だろうが未来は見えません。だから個人としても限界がありますが、それでも集団への教訓化よりは現実的だと考え、それを矮小化して「趣味」と断じたのです。個人の教訓として「教訓の歴史」は現実的に存在可能なのではないか。

ただここで誤解しないでほしいのは、この個人的な教訓とは、個人的な問題意識だけに耽溺することではないということです。ひとは社会的な動物ですから、ひとびとがいだく意識にはかならず社会性が込められているはず。その社会性を切り落として、耽溺するのではなく、社会性への回路をひらきながら個人的に活動していくのがたいせつです。アクチュアルな問題に現実的かつ歴史的に答えをだしていく。そしてそれを発信する。それしかぼくにはできません。それに共感するひともいれば、しないひともいる。それこそがいま問題になっている自由とその拘束が示していることです。

そこで最初の問いかけに戻ります。このコロナ禍へのふたとおりの対策のどちらに歴史は傾くべきか、その答えは確実な回答はできませんが、「教訓としての歴史」をつきとおすなら、前者になります。重要なことは、「教訓としての歴史」で前者を選ぶばあい、おおくの犠牲をうけいれることをうながすといういばらの道を進まざるを得なくなることであり、それを集団に許容してもらうのは、おそらく不可能で、だから《集団の》「教訓としての歴史」はもう死んだということなのです。

ただ、書き加えなければいけないことがあります、ふたとおりの後者の方もまた、スペイン風邪を教訓とした対策であるということです。その点でいくなら《集団の》「教訓としての歴史」は生き延びることができます。ただし、その「教訓」はコロナ禍のような固有化された時代のためだけの「教訓」です。ぼくたちがいま問題にしなければいけないのは、ある意味超歴史的な終わることがないことを願いたい通奏的なことがらとしての自由の問題。もしぼくたちがこの自由をここで手放すならば、その通奏的な自由は歴史的なはじまりがあって終わりがあるものとして処理しなければいけなくなる。そして、歴史はこの重大な決定のときにあまりにも無力であることです。

歴史はいま死に体で大きな岐路に立っているのです。教訓を突きとおすか(ぼくは現実的ではないと思う)、《集団の》「教訓としての歴史」を放棄するか。ほぼ後者に流れていると思います。

ぼくはそこで個人としての教訓に戻ることを促したいと思います。コロナ禍において歴史がいかに無力であるか、その現実をうけいれあたらしい歴史もしくは既存の《集団の》「教訓としての歴史」ではない歴史の再評価をすべきです。そして、コロナ禍以降、社会が正常化するにつれて歴史はかならず必要とされるときがくるはずです。そのとき、絶対に《集団の》「教訓としての歴史」という嘘はついてはいけない。ぼくたちが歴史をやっているならば、ぼくたちはこのコロナ禍に歴史的なおわりがあることを意識しておかなければいけないのです。そして、そのときのために教訓のための歴史」の代替えの歴史を用意しておかなければいけません。

ぼくはここでは個人の教訓として歴史は意味をもちうるとは思っていますが、じつのところぼくは教訓という言葉がダイッキライです。ぼくの浅い経験は、教訓とは平時でのみに教訓となりえる、と訴えかけてきます。だから個人的な教訓もまたぼくにとっては言い訳でしかないのだと思います。しょうじきぼくは、個人レベルでも、集団レベルでも教訓を否定したい、そう考えています。ここまでの文章が無駄になるような告白ですが、これがしょうじきなきもちです。しかし、そのなかでも現状可能な活路を見出さなければいけません。とくにいまはそれが求められている。言い分けながらもそこに活路を見出しているのがぼくの現状です。ぼくは自由を守るべきだと思います。なぜなら、この社会はコロナ禍以降安直にコロナ禍以前の社会(自由な社会)に戻ろうとするだろうと考えているからです。自由を超歴史的なものから歴史的なものへ自らの手で改変してしまっては、もうかつての自由な社会には戻れませんし、戻れたとしても、その社会は原動力を無くした、虚無な自由な社会になってしまう可能性があります。そしてまたいずれ、しかも今回よりもかるく自由は捨てられ、また拾われるだろうからです。自由な社会に戻りたいなら、その原動力を失わないためにも、犠牲は可能なだけ減らしつつ、犠牲はかならずあることを受け入れながら、自由さを保つべきでしょう。ぼくはその点の議論がまったくされていないと感じます。ただ恐怖に慄いて自分たちを拘束しているようにみえるのです。もう私権の拘束意外に方法はないのでしょうか?

しかしこの議論が高まるとは限らないから、新たな歴史も用意しておいた方がいい。個人的にも教訓とはあまりいいたくもありませんから、その用意はいつかしておかなければいけない。

もし、ぼくの言い訳的な活路ではない活路があるならば、ぜひ教えてください。さいごのひとつぼくが感じるかすかな活路の兆しを書いておきます。それは不連続の歴史です。不連続の歴史というと、哲学が好きなひとは、ミシェル・フーコーを思い出すだろうし、歴史がすきなひとはアナール学派や(ここにいれていいのかいささか不安ですが)ヘイドン・ホワイト、日本人でいえば網野善彦などを思い浮かべることでしょう。もし不連続の歴史を貫徹するならば、この期に不自由な時代を肯定しても、コロナ禍以降では不連続として自由な時代を復活させることができるかもしれません(もういちどいいます。たいせつなのは無意識に不自由さを受け入れると戦中を批判する原動力がなくなる、ということです。不連続はそれを意識的に自由と不自由を断絶することで、復活の兆しをつかめるかもしれない)。そこに活路が見いだせるかもしれないのです。しかし、ここには日本という国家が抱く歴史の問題を意識する必要があります。不連続を貫徹するとなると、歴史につきものの「責任」とはどうすべきなのかが、おおきな問題として出てくることになります。不連続はある意味で戦時中の不自由さを断絶というかたちで、おそらく(これについて煮詰まっていないのでにごす)肯定することになりますから、東アジアや東南アジアへの侵略の責任をいかに抱えていくかが問題になるのです。もしこのコロナ禍で本格的な不自由な時代がくるならば、ぼくたちは、戦前/中を否定できなくなるから、この責任の問題はどちらのみちをすすむにしても厄介です。もしこの問題へ正当に向き合うならばおおくの犠牲をうけいれて反規制に行くしかなくなる。

網野善彦は「民族史/文明史的転換」という言葉で過去をはじまりがあっておわりがある歴史的な不連続として眺めていました(網野はひとつの時代の終わりはつぎの時代のはじまりになるといっているから、明瞭な断層をひいているわけではない)。そんな網野は戦後責任をつよく意識していた歴史家でもありました。彼は、その転換が高度経済成長期を画期におこりつつあることを何度も書いていますが、その転換のためにも戦後責任を早急に解決する必要がある、と考えていたのではないとかと思います。しかし、それはコロナ禍以前のはなしであり、コロナ禍を経ようとしているぼくたちは、戦後責任の問題を孕みながら、超歴史的な自由かそれとも歴史的な自由かをとらなければいけない岐路に立っているのではないでしょうか(どちらも超歴史的だろうが歴史的だろうが歴史的意識から出発する)。

歴史はつねに過去を固有化して物語ります。だからそのスパンによって連続にも不連続にも改変することができる自由な視点です。この視点にも活路があるのかもしれませんが、確実にぼく(たちは)この固有化の是非をいま問わなければいけなくなってしまったのです。

 

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