ひとりの木へ、ひとつの詩から

  • 2020年9月6日
  • 2020年9月9日
  • 澪標

寺山修司の「思い出すために」という短い詩がある。

ひょっとしたきっかけから、その詩と再会した。はじめて出会ったのは大学生のときだったが、再会したとたん、その短い詩のもつ豊饒なつながりにこころを奪われてしまった。その詩をスタート地点としてすこしばかり文章を書いてみようと思う。ぼくがこのブログで書こうとしている、つながりはこの詩を組み込むことでひとつの枝を得るかもしれない。

残念ながら著作権の関係で、寺山修士の「思い出すために」をここにすべて引用することはできない。角川文庫の『寺山修司 少女詩集』(改版:2005)に収録されているから、ぜひ手に取ってほしい。この文章に必要な部分だけを要約して書いておく(219-220頁)。

寺山はなぜか、セーヌ川でみた手回しオルガンを演奏する老人、麦畑でかわしたはじめてのくちづけ、パスポートにはさみこまれた四葉のクローバーと希望の旅、アムステルダムのホテルとそこのカーテンからさしこんだ朝の光、はじめての愛だったお前、を忘れていたと願っている。そして、さいごにこう書く「みんなまとめて/いますぐ/思い出すために」

寺山が忘れたいと願っているかずかずの豊かな、美しい記憶たちには、素人のぼくが読むかぎりでは、すべてがひとつにつながっているとは思えない。

便宜的にセーヌ川からはじめての恋までを①~⑤と区別してみると、①と③④は旅として関連があるように思え、②と⑤は恋もしくは愛として関連があるように思える。しかしながら、①③④と②⑤のふたつにはつよいつながりを見いだせない。もちろん、②⑤の恋もしくは愛と、①③④の旅には関連があるとも言えるだろうが、そう主張するには、寺山とこの詩との関係をさぐらなければいけない。ぼくはこの文章の文脈で、それを必要としていなから、ふたつのまとまりをもつ記憶群として理解したい。

寺山の詩にはこれまでいくどか出会ってきたが、この詩もそれらと見劣りしない美しさがある。個々の記憶たちは、あからさまと言えるほどに、美しい記憶が羅列されている。なんだか、そのまま、この記憶たちを文字にされたならば、嫌気すら感じるのではないか、と思えるほどに美しい情景ばかりだ。しかし、寺山のこの詩からは、その嫌気がまったく感じられない。それは、ぼくが思うに、この美しい記憶たちを寺山が「忘れてしまいたい」とかるく嘆いているからではないだろうか。俗的に言えばこの嘆きのおかげで美しさが相対化されている感すらある。これが詩におけるテクニックなのか、どうかはまったく知らないが、この嘆きにこそ、ぼくはつよく惹きつけられているのだ。

なぜ、寺山はこの美しい記憶たちを忘れたいと嘆いているのだろう。そして、なぜ「思い出すために」とさいごに書いたのだろう。

ぼくは、この、嘆き、にこの文章にあたえたい意味を読み取っている。

ぼくは先に、嘆きによって、美しさが相対化されている感すらある、と書いたが、これは俗的とも書いたようにぼくの本心ではない。ぼくは、あの嘆きによってこの詩の美しさというか、世界観というか、人間観というか、なにかよいものが深まっていると感じている。

寺山はここで行を替え、ぼくがつよいつながりはないと断じた、羅列された記憶群、記憶たちを、忘れたいと願いながら「みんなまとめて/いますぐ」思い出したいと願う。ここにヒントがある。

そのヒントから読み解くに、おそらく、寺山にとって“忘れる”ということと“思い出す”ということには、ただ記憶を羅列すること以上の意味があるのだ。それこそが、ぼくの言う、“ひとりの木”、もしくは“つながり”なのだと感じる。

寺山はつよいつながりのない羅列された記憶たちを、忘れることによって、「みんなまとめて/いますぐ/思い出す」ことができる、と言っている。これは、忘れ、そして思い出すことによって、ほんらい個々の記憶にあった調和から、その記憶が解き放たれて、より自由で豊かな“思い出”になると言っているのではないだろうか。

ぼくが“ひとりの木”や“つながり”と書くとき思うことは、ある事象が調和から解き放たれて、あらたな調和を結ぶことだった。ほんらいは相まみえることない存在たちをつなげることこそ、ぼくが目指すところである。

寺山のこの短い詩からは、そのことが伝わってくる。より材料を増やすならば、①から⑤までの記憶が、なぜ、ぼくがくくった群ごとに羅列されていないのか。なぜ、①と③という旅の記憶に、②という恋もしくは愛の記憶がはさまれているのだろう。この構図が意図しているものかどうかは問題ではない。このとき、寺山はまだ“忘れる”ことも“思い出す”こともできていないからこそ、これら記憶たちが羅列されたのだ。

この寺山のふしぎな美しさを漂わせる短い詩には、意味深いものが宿っているような気がしてならない。それは、ぼくがこんな問題意識をもっているからであって、勘違いだ、という批判もあるだろう。しかし、その読み間違いにこそ、ぼくが期待した“ひとりの木”や“つながり”があるのだ。

ぼくのなかにいる寺山修司はそれを教えてくれた。

この寺山の短い詩は、歴史についても豊饒な姿勢をしめしている。歴史家や歴史学者は記憶の風化を恐れている。とくに被害者のひとびとは、その度合いが高い。しかし、その風化は被害加害を問わず進んでいく。

ぼくたちはここで寺山から、風化を忘れることと定義して、思い出すということこそに意味を見出すべきなのかもしれない。

歴史において思い出すことがひとつの行為として重要ならば、そのためにも、さまざまなきっかけが必要になる。それは物的なばあいと、物的ではないばあいがあり、前者は考古学的な記憶物で、後者は暦などの定期的な記憶になる。

もちろん、思い出すときには、その記憶がもっていたほんらいの調和から解き放たれたものであってもいい。

後者、とくに暦はあまりに機械的だから、寺山から読みとれるような自由さはあまり感じることはできないが、たとえば、七夕である7月7日に笹に短冊を掲げるだけではなく、1937年の盧溝橋事件を思い出すのもいいだろう。そのとき、七夕なる優美な日とあの歴史的にも重要な事件がつながり、あらたな調和が生まれてくるのかもしれない。

この自由さにこそ、機械的ではない継承がある。この自由さのためには、寺山が嘆いたようにひとときの忘れも必要なのだ。

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