大雨によせて

大雨によせて

日本はまた、大雨や強風の季節へ入ることになった。かつ、毎年のように「記録上最大」という言葉を目にする。今回も、九州南部を中心に甚大な水害が発生し、おおくのひとびとが命を落とし、また、行方不明となっている。

ここ数ヶ月のコロナウイルスといい、この雨風といい、地球はいつもの美しさのみではなく、まざまざと過酷なすがたをぼくたちに見せている。

日本は自然災害がとてもおおい国のひとつ。今回の雨風だけではなく、地震、そして火山がある。これほど、自然災害のレパートリーを揃える国は珍しいと言っていいだろう。しかし、日本は恵まれてもいる。湿度があり暑苦しい夏があり、そして、寒く雪が降る冬があるが、その湿度のおかげでさまざまな植物が繁茂し、水は流れ、火山の土地にはおいしい軟水が湧き出ている。その水が行き着く海に目を転じれば、親潮と黒潮がぶつかり、豊かな漁場が東北にある。

日本の自然災害のおおさは、日本の自然の豊かさとイコールであり、副作用と言っていい。ぼくたちはこの恵まれた国に生きている以上、この負の面を受け入れざるを得ない。

どれだけ、科学技術や土木技術が発達し頑丈な都市や街を作っても、やすやすと壊されるのがおちだ。逆に、自然と共存という幻想から、縄文などを指標にして、新たな生活文化を作るとしても、また別の自然の猛威に耐えなければいけないことになる。日本においては、どんな生活スタイルと技術をもってしても、自然の猛威からは逃げ出すことはできない。

この厳しい国という地域で生きるために、ぼくたちが今必要とし、思い出さねばならないことは、やり直せる、ということだ。おおくの命が失われたとしても、非情にきこえるかもしれないが、生き残ったひとびとはやり直さなければいけない。それは、生き残ったひとびと自身のためでもあり、死んでいったひとびとのためでもある。これは精神論ではない、歴史という積み重ねがそれを示している。

だが、ここ数年、日本は保険大国になった。それは、ある危機に対しあらかじめ用意し予備することを当たり前にした。そして、危機管理が叫ばれ、その強行によって、ひとつの過ちが人生の終わりになるような容赦ない批判が、ネットやワイドショーなどで繰り返されている。

ぼくは、この状況を科学技術や専門家への盲信から来ていると考えている。ここ数年の日本は科学による安定によって「やり直し」を否定してきた。言い換えれば、やり直す必要を忘れてきた。しかし、何度も言うように、ぼくたちはやり直すしかない。

日本はおおくのものがあっという間に壊れる世界だ。

この自然災害や自然の猛威を受けたとき、ぼくたちは人間が作るものなど、自然の力には勝てないということを思い出し、「壊れてもなおせる」ということ、そして、「やり直し」がきくことを強く思い出すことが必要だと思う。

おおくの方が亡くなった。そしてこれからも災害は続く。またおおくの方が亡くなるだろう。そこにぼくや、ぼくの最愛のひとが含まれるかもしれない。しかし、生き残ったならばやり直そう。また壊れても。

やり直すにさいして、破傷風などのさまざまな感染症にも気を付けてほしい。

亡くなった方々とその遺族に哀悼の意を捧げ、やり直しに直面しているひとびとの無事と活力を祈ります。

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「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

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