日構.6 死んだワニの残したものは

谷川俊太郎という詩人の作品に「死んだ男の残したものは」という言葉のつらなりがある。それに見事な旋律をつけたのが武満徹。その詩のタイトルを借用して、すこし、ここ最近の新型コロナウイルスに関する事柄について書く。

コロナの恐怖に完全に陥るすこしばかり前、Twitterで「100日後に死ぬワニ」(きくちゆうき)という4コマ マンガが注目を浴びた。

このマンガは100日後に死ぬことを知らないワニが、当然くるであろう日常を生きることによって、読者に人間はいつ死ぬかわからない、ということを啓蒙した。

ぼくは、このマンガをもとに英雄的死と日常的死を考えたこともあるが、今回はもう少し違う視点で見てみる。

日常という構図.2 ワニ

ワニは死んだ。それに多くの読者は死を啓蒙された。ぼくたちの生には限りがあり、いつか死ぬと。しかし、コロナショックで世界はロックダウンや外出自粛や鎖国をおこなった。これは生き残るためにおこなわれた。

毎年の恒例行事は「来年やればいい」と考えられ、自粛することは来年まで生き残る方法になった。極端に言えば、自粛すれば、ぼくらは来年まで生き残れると思い込んでいる。

ワニは死んだ。このことは、今はもう忘れさられた。

ぼくたちが自粛するのは感染拡大を防ぐためであり、生き残るためではない。

しかし、ぼくたちは生き残ることを当たり前と感じ、自粛し来年くる恒例行事を当然のように待ちわびている。

ワニは死んだ。ワニはどこへいき、ワニは何を残した?

Twitterの空しさがまたひとつ生まれる。

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「ひとりの木、考古学」は、考古学的な視線を現代に生かすことを目的としています。

考古学、それはかつての人間(ヒト)によって残されたモノを観察し、そこから忘れ去られた、なにか(行為や情景などなど)を呼び覚ます学問です。そのため、一般的に考古学は人文学、特に歴史学の中に含まれます。 歴史学に含まれるという学問的性質上、考古学者はよく過去に囚われてしまうのです。このブログは過去に囚われない考古学を構築し、現代へとその視線を広げます。

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