もうすぐ一年

最初の投稿である「はじめまして」が4月30日に公開されているので、このブログを開設してもう少しで一年がたちます。

ぼくはもともとひどい飽き性で、さまざまな趣味に挑戦してきましたがなにも実らずただ無趣味の日々を送っていましたが、めずらしくもこのブログは一年もったわけです。一度、憂鬱になり閉鎖も考えましたが表現することのへの憧れは消えず舞い戻ってきて、なんだかんだ満足しています。

この一年の節目に、そしてこの投稿でこのブログの方向性を明確にしたいと思います。それは今後の原動力のひとつにもなると感じます。

ぼくは純正の考古学が嫌になりました(これについては度々書くと言っておきながらまだきちんと書いていません。そのうち書きます)。ぼくにとってこれはまあまあショッキングなことでしたから、この一年ずっと考え続けていました。なぜ、ぼくはあんなに好きだった純正の考古学を嫌いになったのか。

それについて答えははっきりしていませんが、ぼくにとってあの世界はかっちりしすぎていたのだと思います。ぼくはずっと優柔不断な世界で生きて、だれの味方でも敵でもなく、なんとなく自分の人生から正しいと思えるものを主張してきた。それは、ぼくが26年間生まれ育った地域が、埋立地で住宅地でも工業地帯でもあり、近くに人工的な緑地、そのはずれには大量の自電車が投棄されたどぶ川がある。一部は部落とうわさされ、大きなヤクザの事務所もある。そんな地域であったことは大きいと思います。

友好関係でもそうで、身の回りの友人は市営住宅に住み、さほど裕福ではなかった。ぼくの家は周りに比べれば裕福だった。しかし、それは見かけで精神・生活ともに一般的大衆とは何も変わらなかった。ハイカルチャーが溢れるようなインテリ世界でもなければ、自然と相互に生きる田舎でもなかった。

何かに熱中できるほど、豊かなものはなかったのです。たとえば緑地に行って生き物を探したとしても、アメンボやカエル、ちいさなバッタ、だれかが捨てたカメ、金魚が少しいるだけ。鳥もカラスとハトとスズメしかいない。工場だってすべて灰色のトタンに覆われなかは見えない。つねにガシャンと音が聞こえるだけ。

身近にあったのは、貧弱なちいさなものたちの群れ。そんな世界にいると自分が何かに属しているという実感はなにもないわけです。家には歴史もなく、地域にも歴史はない。だから歴史に西洋にインテリに田舎にあこがれたのだと思います。

そしてその憧れに近づいていくと、その世界は強い縄張りで囲われていて、ぼくが培ってきた素地とは全く違う世界だった。それにぼくは何かしらの違和感を抱いてその世界ではなく元の世界の近くへもどったと今は考えています。

それは、ぼくが知る日常に近い場所で「考古」を「歴史」をやる、ということ。そしてそれはなんとなく夢遊病的に生き、ときにその引き裂かれに心痛めつつもそれを日常で癒す、大衆・一般人・市民というようなひとびとが暮らす世界と、ある程度のインテリ世界をなんとなく行き来していく境界領域民として生きること、ということもできると思います。

これがぼくの、そしてこのブログの原動力になると思います。では境界領域としてインテリ世界にも大衆世界にも属さない、言い換えると根は大衆で頭が少しインテリ世界に浸ったぼくがする「考古」と「歴史」とはどんな姿になるのか。という問いかけが出てきます。

実際それは、実践していかなければわからないのですが、方針としてここ最近考えていることがあるので、それを書いて終わりにしましょう。

幼かったぼくは、ひとはだれでも変わることができる、と妄信していました。とくに大学生から院生にかけての対人活動はこれをベースとしてきました。しかし、現実はそうではないわけです。ひとはそう簡単に変わらない。結局ぼく自身も先に書いたように素地を捨てることができなかったわけですから。

しかし、学問には必ず啓蒙という概念が付きまとってくるわけです。そこでぼくはその啓蒙を従来の教科書や指南書的かたちではなく商品として提供するということを考えています。

「澪標1 歴史」という投稿のテーマのひとつがこれでした。ぼくは趣味としての歴史を構築することができれば、音楽にひとが勝手に共感するように、そしてその共感がつくりだすゆるい公共性(もうひとつの公共性)を作ることができるかもしれない。と考えました。

より具体的に書くならば、ぼくはだれかを変えるという想いではなく、どこかで誰かが勝手に共感し、その後の世界の見方がときどき変わる商品(装置)を作りたい。

それを、揶揄として使われることが多いですが「色眼鏡」と呼ぶことにします。

ぼくは大学一年生の中旬から眼鏡を掛けて生活しています。そのころは補助的に眼鏡を使っていましたが、今では、とうとう眼鏡なしで眼鏡を探せないほどに視力は低下。もう眼鏡なしでは生きられません。

ぼくがこの思い出を語る理由は、あの補助的に使用していた眼鏡に近い役割をこのブログで担いたい、と考えているからです。

かつて、ときおり眼鏡を掛けてみる景色は裸眼とは違った景色だったことを覚えています。このブログを眼鏡にして、それをきっかけに裸眼とは違った景色を見る。そしてそれは無意識・意識的に枝や幹を伸ばす栄養になる。

そして、

その風景に疲れたら、その色眼鏡をはずして違う色眼鏡をつければいい。もしくは裸眼になればいい。

これは「色眼鏡」でなくてなければいけません。「眼鏡」ではいけないのです。ぼくのようにその眼鏡を掛け続けると、疲れてはずしても何も見えなくなってしまう。それはこの文章やブログでの文脈で言えば、生きる力の喪失、枝のない木です。そしてそうなればなるほど、オタク化していくしかなくなる。世界に散らばるなにげない美しさそして残酷さに気づくことができなくなるわけです。

色眼鏡は外すことも掛けることも買うことも自由。皆すきになんとなく選べばいいのです。ぼくはそれをなんとなく あまりもの として提供し、これをかたちとして保つ術を今考えています。今後ぼくなりの「考古」と「歴史」を構築しながらそれにも意識を向けていこうと思います。

これが、境界領域民として「歴史」と「考古」をする。ということになると考えています。

ここ最近のコロナショックで世界は有用無用に無理に区別されています。これは仕方がないことだと思いますが、もちろんその反動として重要=有用ということではない、という意識が芽生えつつあります。

これは、重要=無用という図式も可能であることを証明している。このブログという「色眼鏡」がだれかの生きる手がかりや気晴らしになることを、そして「色眼鏡」が「もうひとつの公共性」を作り出すことを

なんとなく

願っています。

この続きはcodocで購読

ときおりの最新記事8件

>「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

このブログは、来訪者のみなさんに、ぼくの眼鏡で見た世界を書き表すことによって、色眼鏡を提供すること、それを目的としています。 世界は、正方形でも、まんまるの球体でもありません。見方によって世界は変化します。色眼鏡をかけることによって、それが促されるのです。その色眼鏡をはずし、元の世界をみたとき、あの色眼鏡が見せた世界は何であったのかを考え、「ひとりの木」を育ててほしいと思います。それがこのブログの目的です。

CTR IMG