日常という構図.2 ワニ

今日、2020年3月20日きくちゆうきが描いた「100日後に死ぬワニ」が完結しました。そしてワニは死にました。

実は、この100編つながるマンガを完読していません。ですがワニが死んだときの描写について考えることがあったので書きます。そしてぼくはワニについてほとんど調べていないことも理解してください。

この作品はあまりに日常すぎる日常を生きるワニが100日後に死ぬとも知らず生きるというテーマの作品ですね。ぼくがツイートをみたとき、いいねが144万に達していました。

多くの人がこの死にゆくワニへ自らの日常と生と死をかさねあわせたんだと思います。

ワニは(描写をそのまま読むならば)、ひよこを道路から救う際に交通事故を起こし死にました。ぼくはこの描写をみたとき、正直に言えば「あー」という虚無に近い感情を抱きました。なぜなら、日常を生きたワニが最後に、英雄的死を迎えたからです(ちなみにひよこを助けることによって死ぬのは3日目に伏線が張られていた)。

なぜワニに英雄的死を迎えさせたのでしょうか。色んな理由があると思います。作者が100日ワニを書くにつれ愛情が芽生えたかもしれません。この死をあらかじめ用意していたかもしれません。

理由が何にせよ、ぼくが考えるのは英雄的死を望む人間の死に対する感情と憧れです。ぼくらが住むこの宇宙空間では常に時間が経過しています。そしてすべてが死にます。ぼくら人間も、愛したペットも、口に運ばれる動物、植物そして星も。

ぼくら人間はその死に特別な感情をいだいて、その死に大いなる理由を託したり、無常さを感じたり、死後を考えたりしてきた。そしてワニには英雄的死が用意されました。

物語では多くの登場人物が英雄的に死んでいきます。

野球漫画のタッチでは、ワニと同じように子供をかばって上杉和也が死に、NARUTOの自来也は弟子ナルトに意思を託して死に、ワンピースのエースは白ヒゲへの罵倒を取り消せと戦い死にました。ぼくらが接する物語の登場人物たちには英雄的死という光が手向けられます。では現実はどうでしょう。

ぼくらの生活圏はほぼ平和が保たれ、ぼくらは病院で死ぬか、自ら死を選ぶか、他者からの一定の理由でもって殺されるか、偶然に死ぬしか手段がありません。

ぼくらは戦いの中で光にとともに死を手向けてもらえるわけではありません。

ぼくがこの文章を書いているとき、少し考えているけどあまり表に出すべきではないかもと考えていることは、ワニにはこの日常的死を与えるべきではなかったのかということです。

あのマンガは100日後に死ぬなどと思ってもいない日常を生きるワニからぼくらの生の儚さを読み取ることが可能です。しかし、ワニは日常を生きながら最後、ヒーローとして死んだ。ぼくたちが重ね合わせたワニの日常はさいご非日常となった。しかし、ぼくらの現実のほとんどは日常であり日常的死が待ち構えている。この日常を生きるひとびとの健気さとそれをまた日常的に終わらせる死、これがもしワニに描かれていたのであれば。この物語はもう少し違った色を放っただろうな、と考えたりします。

そしてひとつ考えると面白いのが、日常がワニからそのほかの登場人物へ移ったことです。ワニはヒーローとして英雄的に死にました。ではそのワニを迎えに行ったそしてその後ワニの死を知ったネズミたちは、どうなったんでしょうか。

恐らくワニの死を悲しみつつ日に日に、日常へと戻っていったでしょう。そしてネズミたちは日常的死を迎えたでしょう。

ぼくが考えをめぐらせたいのは、この残されたひとびとです。それはぼく自身の投影でもあるだろうし、死によって失われた身体と徐々に日常のために忘れられていく記憶。そのことを考えると、いろいろと感じることがあります。

ぼくはそのとき、日常を生きることこそ死から離れる行為であって、日常を生きられるのはぼくらがいましか生きられないことが原因なんだろうなと、思ったりもするわけです。

死について考えることは歴史について考えることととても親和性が高いと感じます。この最後にヒーローとなったワニの物語とその後に残されたネズミたちの語られない物語。このふたつの折り重なりこそ過去であり歴史なのかなと、このマンガをきっかけに再認識しました。

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