澪標1 歴史

  • 2020年3月17日
  • 2020年4月12日
  • 澪標

随筆が澪標へ

前回、非常に突発的な悲観的な投稿をしていくらか整理がつき、何とか形にはなったので投稿する。

内容は歴史の可能性について随筆的に、次回は考古の可能性について、随筆的に書く。しかし、随筆的とはいってもこの文章と次の文章はこのブログの指針になると思う。だからぼくはこの投稿に、澪標(みをつくし)と名付けた。

趣味だからこそ私的つながりを与えられるかも

さて、まず言っておかなければいけないことがある。それは学問と呼ばれる高邁な見た目の衣をまとった営みは、どこまでいっても趣味の域を出ないということである。

ぼくが思うに、ある特定の学問や学部へ対する不要論のほとんどは的を射ている。こまごまとした論文を読めば簡単にわかることだが、人文学の論文で社会のためや人類のためになるような論文は限りなく少ない。大学の関係者や研究者は不要論に対し、何かしらの弁解を用意して待ち構えている。

わたしたちのおこないは人類社会のためになる、と。

だが、先述したように学問など趣味である。

しかし、税金が投入され市民からの監視が行き届いた大学などの学問空間ではその開き直りが許されることではなくなっている。世のなかの行いなどほとんどが趣味でしかないのに、税金が投入された途端「人類社会のため」という欺瞞を高邁な光りでできた衣で包み隠さなければいけなくなる。

では、そんな空間は捨ててしまえばいい。ぼくはそう思う。だからぼくは税金によって生きながらえている考古学の世界を去った。

ここで最も大きく注目してもらわなければいけないのは、「開き直り」とは矮小化した表現であり、オタク的世界へ深く沈んでいくことではない。

では「開き直り」とはなにか、

それは趣味というあまりに私的な行為が本来言われている公共性を飛び越えてもうひとつの公共性という紐帯を作りだすのではないか、という考えを、ぼくがもっているからだ。

これを少し抽象的な言い方をすれば、あまりものと言ってもいいかもしれない。

人生のあまりもの。

ぼくはずっと音楽はなぜひとびとをつなぎとめるのだろうかという想いをもってきた。音楽など、ちょっと紐解けば作られた経緯が私的な事象をきっかけにしていることが分かる。誰か最愛の人が死んだとか、親孝行としてつくられた曲も多い。

そしてそれは如実に表現物である楽曲に表れている。

であるのにも関わらず、ひとは感動する。

具体例を出そう。幾年か前に流行した楽曲に『トイレの神様』という曲があった。9分を超すJPOPでは比較的長大な曲で、内容は作詞作曲者である植村花菜の祖母の話だ。この曲は多くの人をひきつけ、紅白歌合戦では短縮はされたものの、歌詞は削られず演奏され話題となった。

この曲はあまりにも私的だ。ぼくらは植村の祖母を見たこともない。どんな髪型だったのか、どれぐらいの背丈だったのか、どんな声をもちどんな言葉でしゃべったのかすら知らない。

けれども、ぼくらはその私的な体験とその曲に、何かしらの関心や感動を寄せる。共感というやつだろう。

ぼくが上で「もうひとつの公共性」といった公共性のイメージがこれだ。ただの趣味である音楽、そしてただの私的体験である祖母の話。これがどれだけの人を結びつけたかは計り知れない。

〈雑談〉ちなみに、この「トイレの神様」はタイトルとその内容が衝撃だったのでヒットしたということも言える。今の子供にもこの感覚が残っているかは知らないが、ぼくらが小学生のころトイレは少し薄気味悪くなにより汚い場所だった。学校のトイレはタイル張りで独特の芳香剤のにおいが漂い、ひんやりとしていた。だから「トイレの花子さん」という伝承まで存在した。小さいころトイレに入るのにひやひやしていたこと、手洗い台の前にある薄汚れた鏡をのぞくことが怖かったことを思い出す。しかし、この曲では「トイレには それはそれはキレイな/女神さまがいるんやで」(「トイレの神様」2010作詞植村花菜・山田ひろし、作曲植村花菜より引用、改行は/で表記)というこれまでの伝承や雰囲気とは異なったトイレ観を与えたことはおもしろい。

ぼくはこの「もうひとつの公共性」をどうにかして考古や歴史で作れないかと考えている。そのためには、税金の使用ということを要因とする市民からの監視が強い場所を離れる必要性を感じた。

そしてぼくは学問は趣味であるという開き直りが、「もうひとつの公共性」へのきっかけになると考えるのだ。そうした先にあまりものになれた考古と歴史がある1)誤解しないでほしいのは、ぼくは大学不要論者ではない。ぼくは大学に大きく育ててもらったし、知的生産活動の場である大学にはある程度のあこがれも抱いている。かつ、税金によって生きながらえている世界を全面否定はしない。文化を守るのには税金が必要であることは、重く理解している。考古学もしかりだ。けれどぼくはその世界にはなじめなかった。より自由にそしてぼくが目指す世界へ踏み入れるには、税金や研究費というひも付きのお金や、高邁な衣や、それに隠れた欺瞞を何とかやりくりするのはあまりにも重すぎた。

ここまでの意見をもとに歴史について少しながめよう。

そしてその先に歴史は日常に近いものであることが理解され、あまりものとしてうってつけだと感じてほしい。

歴史はなぜ可能か

ぼくは歴史に大きな可能性を見出している。それはあまりものとしてのそれ、もそうだが、もっと本質的本能的なところにあまりに大きな可能性が眠っていることをここ最近しっかりと感じている。

その可能性とは、「歴史はすべてを説明できる」のではないかということだ。ぼくはこの可能性をどことなく高校生のときから時から感じていた。だからこそ、大学へ進学した。

その可能性を沸き立たせる要因をここで文章化する。しかし、前回の投稿「書けない」でも書いたようにすこしばかり複雑な側面をもっているような気がするので、うまく書けるかはわからない。

まずひとつ考えたいのは。なぜ歴史の構築が可能なのかということだ。この答えはなぜ歴史を学ばなければいけないのかという問いに対し、欺瞞的な答えをすることの無意味さを際立たせてくれると思う。

なぜ歴史は可能なのか。それはあまりにも簡単なことでもある。ぼくが考えるにそれはぼくらが運動を続ける宇宙空間でしか生きることができないこと。そしてもうひとつ、ぼくらが人間であり頭蓋骨の中に脳みそなる組織をもち、その中に記憶という情報をもったことのふたつだ。

前者はぼくらがどことなく、太陽の上がり下がりで生活をリスタートさせていることからも分かるように、過去はつねに生成され累積している。地球はつねに自転し公転している。あるひとが言うには宇宙はつねに膨張しているらしい。そして何よりぼくらは運動し続けその結果として生成された今しか生きることはできないし、体験した過去も体験していない過去も今、この地点で眺めることしかできない。

そしてぼくたちは移り変わり積み重なる過去を足の裏にため込みつつ今を

その移り変わり積み重なる過去を情報として取り留めるのが記憶だ。ぼくらの脳みそにはいつのものか分からない記憶もあれば、はっきりとした記憶、はっとしたときに偶発的に思い出されるまで思い出されない記憶もある。

この記憶のおかげでぼくたちは今を生きながら、過去に縛られるようになっている。

この記憶を外化(これはアンドレ・ルロワ=グーランの概念(1973)を使用)させたモノが先ほどもすこし出てきた記録(表現物)になる2)これについて、もう少し付け加えるならば野家啓一の意見を取り入れたい。野家は、ぼくが記録と呼んだものを「記憶の外部化」や「外部化された記憶」(2016.108.109頁)と呼んでいる。これについては次回の考古に関する投稿で扱うが、歴史に関して、ぼくは野家啓一(2005.2016)の影響を著しく受けていることは明示しておきたい。。たとえばメモや日記、本といったわかりやすいモノから、ただのモノにも記憶を外化させることがある。

この運動が続く宇宙空間と記憶と記録によって歴史は可能になったと、ぼくは考える。現に、アンドレ・ルロワ=グーランも名著『身ぶりと言葉』(1975)のなかで「根源にさかのぼりたい欲求がきわめて強いところをみると、単に好奇心に駆られたというようなものとは思われない。」(17頁)と述べている3)ぼくはこれまで好奇心という言葉を使ってきたが、この好奇心という言葉には運動し続ける宇宙空間と記憶と記録が紐づけされていることを注意して、ルロワ=グーランの言葉を読んでもらいたい。そうするとぼくが(過去に対する)好奇心と呼んだものがいかに本能的かつ病的なものかということ、ルロワ=グーランが「単に」と注意したことが少し理解できると思う。。この発言は過去への執着や歴史の構築が本能的であることを物語っているのではないだろうか。

そして、一般的に歴史と呼ばれる自分の生を飛び越えるほど遠い過去への好奇心は、先述した記録(表現物)によって刺激される。ぼくの中ではここに考古学が登場するのだがそれは次回にまわそう。

ではこの可能になった歴史のどこにぼくが「あまりに大きい」と書いた可能性があるのだろうか。そこに踏み入れていこう。

歴史の可能性

この歴史の可能性は、歴史が可能である要因と深くかかわっている。とくに運動し続ける宇宙空間に住み、過去が常に生成され蓄積し、かつ今しか生きられないわたしたち。という定めによって歴史の可能性はより膨らんでいく。

たとえば、今年(2020年)が始まってもう三ヵ月も経った。この三ヵ月に何が起きただろう。最近で言えば新型コロナウイルスの世界的流行、少し前には歌手の槇原敬之が覚せい剤保持で逮捕された。たかが三ヵ月で事件がいくつか起き、それらは過去の出来事になっていく。

そしてぼくらは今、なぜ?  という好奇心を発生させる。なぜ新型コロナウイルスは世界的に流行したのだろう。なぜ槇原は覚せい剤を所持していたのだろう。といったぐあいに。

これら疑問の答えへと続く材料の多くは過去にある。新型コロナウイルスの流行には2019年段階で武漢での封じ込めが失敗したという素材。もっと遡れば、産業革命以降、交通手段の拡大が世界に広がり観光がひとつの産業となり、グローバリゼーションが顕在化したことも素材になる。

槇原については自身が過去(1999年)に覚せい剤保持で逮捕歴があるという素材や、戦中戦後の芸能界ではヒロポンが使用されたかもしれないという材料もある。

これが歴史の可能性だ。ぼくらは今しか生きられないので、好奇心のほとんどをいま生成するしかない。そしてその好奇心の大きな解消方法のひとつとして過去を参照するという方法があり、それはぼくが先述した歴史が可能な理由によって可能になる。

ということは、過去を参照し歴史を構築するという営みによっていま生じえる好奇心の多くを解消することができる。そしていま生じる好奇心は何かしらの形でいま現在へ還元させられる。

ぼくが感じていた歴史の可能性とはこのことだ。歴史を構築することにより多くの事象を説明できる。

〈雑談〉ちなみにここで書いた歴史の可能性に関しては非常に表面的な事柄を文字化しているに過ぎない。本当はもう少し野心的な想いがあるのだが、どうしてもそれをうまく文章化できない。少しだけ書くと、ぼくが純正考古学に違和感を与えられたのは、上述のいまと過去がつながるという循環がないためで、漠然と、純正考古学は過去を孤立化させていると感じる。

ぼくが先述した「何かしらのかたちでいま現在へ還元」という言葉にはもう少し複雑なまだ見えない世界があるように感じる。また、前回の「書けない」という投稿で、歴史を映画の観客的に俯瞰としてみる。というぼくの歴史哲学(と言っていいのか、、、)についてもまた今度書こうと思う。このふたつはもう少し勉強が必要だ。

そしてこの過去を参照し歴史を組み立てるという行為は、だれでもいつでもやることができる。

ぼくにはいくつかの嫌な記憶や思い出、輝かしく美しい記憶や思い出がある。寝るときに嫌な記憶を思い出して寝るのに手こずったり、ふと思い出し笑いをすることもある。そしてこのような体験は人間ならば誰にでも共通するものではないだろうか。

だからぼく先に

ぼくらは記憶や記録によって過去に縛られていると書いた。そしてその縛りを良い方向へもっていこうとしたり、その原因を過去の記憶をさかのぼって組み立てたりと、何かしらの手を尽くす。

それをぼくは歴史の構築と呼ぶ。ぼくが先に「あまりものにうってつけ」と書いたのは、歴史構築がこのように一般性をもっているからだ4)ぼくは過去と歴史を区別していることも明示しておこう。ぼくの中では過去は素材であり、歴史は構築されたものだと考えている。野家啓一の言葉で書くならば、「歴史は物語られねばならない」(2005.8頁)。

ここまでの文章で、ぼくが考える(想う)歴史ががなぜ可能になるのか、という疑問と、歴史にはどんな可能性があるのかということについては、大方理解してもらえたと思う。ここでもう一度学問は趣味であるという考えにもどって、歴史の意味と忘却を考えたい。

歴史の意味と忘却

ここでひとつ、文献を参照してみよう。おそらくここ最近でもっとも人目に触れた歴史書、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』下巻(2016河出書房新社)の第13章「歴史の必然性と謎めいた選択」の一部分を見てみる。

ちなみにこの部分は同書でもっとも理論的な部分である。

ハラリは歴史を研究する意味をこう答えている。

「物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。」(48頁)

重々しい雰囲気が漂う同書ではめずらしい、比較的前向きな内容でうなずける人もおいだろう。そしてぼくもこの意見にはおおかた同意する。ぼくらが過去について記憶においても記録においても、ifを感じ夢想してしまうのも同じこと。

だが、重要なのはぼくらがいましか生きられず、今をことによって、最良の選択肢を選ぶことができないかもしれないということだ。ほかにもある選択肢を選んだ結果は誰にもわからない。過去からパターンを見出したとしてもそれは、一材料でしかない。だからぼくは歴史は未来ではなく現在へ還元されると先に述べた。そしてハラリ自身も、先の意見につづいて「歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではない」(49頁)と述べている。もしこれに一言付けくわえるならば、「歴史の選択は人間のの利益のためになされるわけではない」と付けくわえたい。

ぼくらは今しか生きられない。この効力はあまりに大きいのだ。

自然災害を考えるのが最も分かりやすい。ぼくが住む東海地方にはいつか東南海トラフを起因とする大地震が高確率で起こるとされている。

その地震はいまこのとき起こるかもしれない。明日起こるかも、一年後の今日起こるかも、もしかしたら一年後ぼくは(あなたは)死んでいるかもしれない。しかし、ぼくらはそのいつか来ると呼ばれる抽象的な恐怖へ万全の対策が、いましか生きられないが故に出来ないのだ。これが防災の限界である(現にこれを書いていた日の深夜、石川県能登半島で震度5弱の地震が発生した。)。

ぼくらはいつか来る恐怖を忘れなければ今を生きることができない。いつか来る恐怖を意識したほうがより善く生きられると考えるひともいるだろう。それも正しい。しかし、(極端な例だが)その教訓という記憶を起床しているあいだ、常に意識できるだろうか。毎日意識できるだろうか。

かならず、そのいつか来る恐怖を忘れ、いま生きるために集中するだろう。これはぼくらがいつのまにか身につけていた忘却という生きるすべなのだ5)これをより拡張すると、3.11(東日本大震災)も第二次世界大戦も第一次世界大戦も生きるために忘れなければいけないのか! とお叱りを受けるだろう。もしかしたらそうかもしれないのだから、いましか生きられないという効力は恐ろしい。実際に日常をみてみよう。みな健気にいまを生きている。みな今を見ている。むろん、ぼくはそれら歴史的事象を忘れるべきではないと思うが、ぼくらはこの矛盾をどう受け止めるべきだろうか。こそしてだからこそ、ぼくらは毎年3月11日を、8月6日を8月9日を8月15日を記憶のきっかけとして記録化し残さなければいけない。歴史家がやるべき記憶の風化を防ぐこととは、記憶を呼び起こすきっかけを保つことにある。風化させるなと強制しその矛盾を解消することではないのではないだろうか。

ぼくのこの忘却を生きるすべとみることと、ハラリの歴史を研究する意味をかんがみて、ぼくが学問など趣味だと考えることにもどるとどうだろう。

忘却も含めて、選択肢を選択するために生きれないぼくたちも含めて、歴史は群善の積み重ねだと理解されるだろう。

ぼくらの生が偶然の産物であり、ぼくらもいくら神になったとはいえ今を生きるのに精いっぱいな残念な動物でしかない。

だからこそ、人間(ヒト)特有の能力、趣味として学問(ここでは歴史と考古)を位置付け、音楽が趣味としてひとを救ったように、あまりものの歴史と考古がひとを救うことはできないだろうか。ぼくがかたくなに学問は趣味であると、そしてそのためには下野しなければいけないと考えたもうひとつの理由がここにある。

趣味として歴史をみたとき何が見えるのか。それはいましか生きられないひとびとの積み重ねだ。

モノクロとしての歴史

歴史には靄がつねにまとわりついている。それは記録の不備や資料の欠落から生まれる靄だ。過去はさまざまな側面をみせ、完全なる歴史は存在し得ないかもしれない。と考えている。

それもまた、ぼくらの宿命であるいましか生きられないことが原因なのだろう。

いましか生きられず、いまを生きるために生きたひとびとがいなければ(言い換えると常に未来を見据え、完全なる最良策を選択したひとびとがいたなら)、過去はそして歴史は完全な極彩色を放つものになる。しかし、過去は歴史はモノクロである。ぼくらが過去を歴史をモノクロとして眺め、そこに色を見出しているのは、彼ら彼女らが今を生きたからだ。

過去は偶然の積み重ねであり、未来もそのうち偶然の積み重ねになる。

だからこそときどき ゆくりなさ を感じるのだろう。

参考文献
アンドレ・ルロワ=グーラン(荒木亨 訳)1973『身ぶりと言葉』新潮社
植村花菜2010「トイレの神様」作詞:植村花菜・山田ひろし、作曲:植村花菜、キングレコード
野家啓一2005『物語の哲学』岩波現代文庫
野家啓一2016『歴史を哲学する 七日間の集中講義』岩波現代文庫
ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳)2016『サピエンス全史』(下巻)河出書房新社

この投稿の負の側面

ぼくはこの文章を書いているとき何度となく考えなおした。それはあまりにこの投稿が現実的過ぎるからだ。ぼくは見事なまでに理想主義者で、だからこそ、いくぶん人より現実が見えてしまう。

そしてこの投稿を誰かが、歴史を学んでも未来はよくならないと諦めをもつかもしれない。しかし、ぼくは個人的にそれを望まない。

ぼくたちはつねに残念な動物なりに向上すべきであることには変わりないのだから。

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脚注   [ + ]

1. 誤解しないでほしいのは、ぼくは大学不要論者ではない。ぼくは大学に大きく育ててもらったし、知的生産活動の場である大学にはある程度のあこがれも抱いている。かつ、税金によって生きながらえている世界を全面否定はしない。文化を守るのには税金が必要であることは、重く理解している。考古学もしかりだ。けれどぼくはその世界にはなじめなかった。より自由にそしてぼくが目指す世界へ踏み入れるには、税金や研究費というひも付きのお金や、高邁な衣や、それに隠れた欺瞞を何とかやりくりするのはあまりにも重すぎた。
2. これについて、もう少し付け加えるならば野家啓一の意見を取り入れたい。野家は、ぼくが記録と呼んだものを「記憶の外部化」や「外部化された記憶」(2016.108.109頁)と呼んでいる。これについては次回の考古に関する投稿で扱うが、歴史に関して、ぼくは野家啓一(2005.2016)の影響を著しく受けていることは明示しておきたい。
3. ぼくはこれまで好奇心という言葉を使ってきたが、この好奇心という言葉には運動し続ける宇宙空間と記憶と記録が紐づけされていることを注意して、ルロワ=グーランの言葉を読んでもらいたい。そうするとぼくが(過去に対する)好奇心と呼んだものがいかに本能的かつ病的なものかということ、ルロワ=グーランが「単に」と注意したことが少し理解できると思う。
4. ぼくは過去と歴史を区別していることも明示しておこう。ぼくの中では過去は素材であり、歴史は構築されたものだと考えている。野家啓一の言葉で書くならば、「歴史は物語られねばならない」(2005.8頁)。
5. これをより拡張すると、3.11(東日本大震災)も第二次世界大戦も第一次世界大戦も生きるために忘れなければいけないのか! とお叱りを受けるだろう。もしかしたらそうかもしれないのだから、いましか生きられないという効力は恐ろしい。実際に日常をみてみよう。みな健気にいまを生きている。みな今を見ている。むろん、ぼくはそれら歴史的事象を忘れるべきではないと思うが、ぼくらはこの矛盾をどう受け止めるべきだろうか。こそしてだからこそ、ぼくらは毎年3月11日を、8月6日を8月9日を8月15日を記憶のきっかけとして記録化し残さなければいけない。歴史家がやるべき記憶の風化を防ぐこととは、記憶を呼び起こすきっかけを保つことにある。風化させるなと強制しその矛盾を解消することではないのではないだろうか。

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