日常という構図.1

Twitterをやめたらアウトプット装置がなくなってしまい、少し心もとない。そこで、「日常という構図」という備忘録というか、気の抜けた、ゆるふわな投稿を一週間に一回とか、二週間に一回とか、月に一回とかしようとか思っているところ。下手をすると、この一回で終わりかもしれない、、、

さて、この日常という構図で何を書くかと言えば、思いついたこと、行った場所、読んだ本、食べたおいしいもの、などなど、先述したようなゆるふわな感じでやっていこうと思う。

今回は、この一週間のことでも書こうかと。

ここ一週間見事に引きこもり、外に出たのか数回。しかも日が沈み車の音しか聞こえなくなったときだけ。その代わり読書に励むこともできたし、いろいろ考えることもできたし、投稿を書くこともできた(次回は歴史について投稿)。

世の中はコロナウイルスで一緒くたにされているし、荒れているらしい。ぼくが住む名古屋市でも多くの感染者が出ているし、大変なことだ。そして見事にネットもあれている。ぼくが目にする情報はほとんどYahoo!ニュースとそのコメント欄ぐらい。

コメント欄は相変わらず民度が低く、安心する。

みんな、入国禁止にしなかったからだ!! と政府の対応を責めている。しかし、このグローバリゼーションまっただなかの世界で、即座入国禁止は日本にとってあまりに選択しづらいのは確か。ではグローバル化をやめるかと言えばそれは不可能(この辺は東浩紀の『ゲンロン0 観光客の哲学』2017.ゲンロンでとても分かりやすくとりあげられている)。でも民衆はとても厳しい対策を望んでいる。

どうすればいいのか分からない世界はおそらくここ数年、いや何十年と続くんだろうなと思う。

ぼくがTwitterをやめた理由のひとつがここにある。Twitter世界はあまりに民度が低い。残念なことに常に悪辣な言葉が飛び交い、論戦とは言えないつつき合いが横行している。

ぼくが思うにTwitterは意見を表出し続ける空間でしかなく、ディスカッションをする空間としてはあまりに不適合だ。なぜならリアルタイムなアクションが求められるから。ときはつねに移ろうし、ある事象はすぐ古くなる。ここ最近のこの傾向はすさまじい。

Twitterのトレンド欄は一時間で変化する。

むかし、Twitterなどない頃、トレンドとは流行であって少なくとも一か月はつづいた。しかし、今一か月つづく流行となると政治系や芸能ゴシップ、女子高校生や大学生が作る食べ物文化ぐらい。

Twitter世界の一つの価値観でもあるバズりもまた、次の日には忘れられる。何万いいねを稼いでも、サスティナブルな効果はほとんどない。それらはただ積み重なる砂に等しい。

もうひとつ今週は3.11から9年目でもあった。ぼくは3.11にすこし特別なお思いを抱いている。それは先日の投稿でも書いた通り。

2010~

最近読んだ本をひとつ紹介しよう。それは、

ジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)という心理学者が書いた歴史書『神々の沈黙 意識の誕生と文明の勃興』(2005.柴田裕之訳.紀伊国屋書店)原典は1976年に刊行され、1990年に再版されたようだ。本書によると多くの議論を巻き起こしたそう。

内容はすさまじく挑戦的である。かつて人間は二分心というふたつの声を脳内に持っていた。片方(右脳)からは神の声が聞こえ、もう片方(左脳)がそれを聞く。そしてその二分心が崩壊し始めたのが3000年前。そこからぼくらが意識と呼ぶものが誕生した、というのが主題。そしてその二分心の要因をストレスに求め、意識を言語活動である比喩に求める。その際に統合失調症の患者が聴く幻聴と幻覚を神の声と同等ものととらえる。

ぼくのこの要約からすればあまりに思いつきのように聞こえるだろうが、この本を読むと相当な説得力も持っていることが分かりとても面白い。なにせ、その主張の論証のために約600頁を費やしているのだから。。

ぜひ読んでみてほしい。

ちなみに、この本の訳者柴田裕之は、サピエンス全史の訳者でもある。

ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』上下巻(2016.河出書房新社)もやっと読破。こちらはとても辛かった。ウィキペディア(参照元URL:2020年3月13日観覧)によると、ハラリはビーガンらしい。それを読んで納得した。この本にはとてもその傾向が強く表れている。

なにより、この物語はホモ・サピエンスが犯してきた罪と、サピエンスがつくってきた虚構を主題にし、人類は自ら作ってきた虚構や進化した結果幸福になったのか? という独特の問を投げかけている。

そしてぼくはこの本がいまの時代にヒットした理由もよくわかる。しかし、ぼくは面白さを感じなかった。ぼくの理解では、この本で取り上げられている大きなストーリーは、ぼくにとっては当たり前で、ベッドで横になりながら考えることだった。そして言い加えるならば、ウィキペディアを読み進めているような感じさえする。みさんはどうだろうか。。

でも、いただきます。を忘れてはいけないことを再認識した。

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「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

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