追悼:戸島美喜夫

ぼくはいま、クール・ジョワイエという男声合唱団を休団している。しかし、練習計画などのメールはぼくにも届いていて、今日、2020年2月18日にそのメールを偶然覗くと、作曲家戸島美喜夫さんの訃報が届いていた。

ジョワイエと戸島先生とのかかわりは古く、ぼくがうまれる前から委嘱作品を歌いあげている。そしてぼくが在団していたときもまた、戸島先生へ作品を委嘱していた。

戸島先生はぼくたちに「樹木派」(詩:高見順)という作品をおくってくれた。

この曲は当時のぼくにとってあまりにも繊細で前衛的だった。正直歌える気もしなかったし、どう歌えばいいのかさえ分からなくなっていた。「樹木派」はとても自由な曲だったのだ。不協和音がいたる所に設置され、連続5度もある。なんと、左から右へと声を流してエコーをつくる。ひとつのフレーズを分離させ各パートで音を出してひとつのフレーズをつくるなんてことも。

これまで歌ってきた曲とはあまりに異なっていたし、無調音楽を完全否定していたかつてのぼくは、拒絶反応を起こしていたと思う。これまで培ってきた音楽的感覚が適応できないのだ。砂浜を思い通りに走れない、そんな感覚に襲われていた。

けれど、戸島先生の「樹木派」はその前提をゆっくりと崩していった。

いつのまにか、不協和音のカオスさに魅せられ、音響が天に吸い込まれたときの残滓に心躍っていた。「樹木派」はまるっきりぼくの音楽観を変換してしまった。あるひとがジョン・ケージの音楽に驚異したように、ぼくは戸島美喜夫先生の音楽に驚異した。

最後に驚異したのは演奏楽器の豊富さだった。「樹木派」には演奏楽器がみっつ必要になる。しかも、このみっつの楽器は発音原理が異なる必要があり、演奏会のときはヴァイオリン(擦弦楽器)とギター(撥弦楽器)とサンポーニャ(管楽器)が用意された。これに合唱が加わる。あまりに不思議な組み合わせだった。こんな体験はこれから一生できないのかもしれない。

修士論文を執筆しているとき、実感したことだがぼくは考古学を学ぶときも歴史を学ぶときも、本を読むときもおおくの表現物への侵入を音楽的にやっているようだ。これまで、どっぷりと音楽に魅せられ浸ってきたぼくは、楽譜を読む行為をいろんなものに適応させている。そんなぼくの音楽観を変換した戸島先生とその表現物である「樹木派」という存在は、ぼくの人生を変えたと言っても過言ではない。

ぼくは「樹木派」から自由さを、物事の多様さを学んだ。戸島先生と「樹木派」に出会わなければ、どれだけ保守的な音楽観をもっていたか、オルタナティブや自由なんて求めてもいなかっただろう。

記憶に残ることばがある。戸島先生が先述したみっつの楽器を入れた理由を、クール・ジョワイエ演奏会2015~2つの委嘱・初演~(2015年1月18日)でのトークの中で、こう述べていた。

「楽器の音は一種のある種の情景。それは実際の風景でもいいし物音でもいいし、あるいは自分の中の情景もふくめて、そんな音が作れないかなと思った時に、木や花や風の音そういうものを、みたり聞いたりしていると、ひとつずつ違うんですね一刻一刻。それで楽器でも同じような音でうまくアンサンブルをやれば、感動的な音が出せるはずなんだが、みんな違う、木々もみな違う、葉っぱの色もみな違う、背の高さもみな違う。」 (演奏会でのトークを文字起こし)。

この何気ない言葉選びにどれだけ大きな衝撃を受けたか。戸島先生が「樹木派」で表現しようとしていたことが、どれだけ何気ないことで、かつ大きな物語だったのか。すこしその深淵に指が触れたような気もした。

戸島先生とはほとんどしゃべることはできなかった。一度体をぶつけてしまって「すみません」と言ったきり。練習でも演奏会後の打ち上げでも声をかけることはできなかった。けれど、音楽を通してぼくは戸島先生から多くを学んだ気がする。

戸島美喜夫先生ありがとうございます。

合掌

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考古学、それはかつての人間(ヒト)によって残されたモノを観察し、そこから忘れ去られた、なにか(行為や情景などなど)を呼び覚ます学問です。そのため、一般的に考古学は人文学、特に歴史学の中に含まれます。 歴史学に含まれるという学問的性質上、考古学者はよく過去に囚われてしまうのです。このブログは過去に囚われない考古学を構築し、現代へとその視線を広げます。

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