首里城が燃えた日

すごく重たい腰を上げる。

先日の投稿でぼくはこのブログの休止を広告し、最悪のばあい閉鎖も示唆した。その投稿が2019年10月29日。それからふつかの時が経た2019年10月31日の未明に首里城で火災が発生し、正殿を中心とする建造物や文化財資料が焼失した。

ぼくは基本的に、文化財の問題に関して書く気はない。川崎市民ミュージアムの水害については書いていないし、その他もろもろの考古学的な問題には立ち入りたくない1)(厳しく言えば、歴史に残り得る台風19号という災害にほとんど言及していなかった一部の考古学関係者が、文化財の水没という近い問題にのみ反応し意見を言う姿勢に、ことごとくあきれてしまった。。ぼくはその世界から逃げ出すためにこのブログを開設した。

ではなぜ、ぼくが首里城について書くかといえば、フランスのノートルダム大聖堂の焼失をきっかけにいまがあるからである。それについては、下記の投稿で簡単に述べている。ノートルダム大聖堂が炎につつまれ、鉛が散布するその姿を見たひとびとはAve Mariaを歌い、建造物に思いを寄せた。まるでひとの死のように。

いま、考えていること

ぼくにとってその光景はまがまがしくも美しく見えた。そしてその光景はまさに「人間とは何か」そこからたちがる「ひととモノにはどんな関係があるのか」を考える衝撃を与えたのである。

そしてなにより、その投稿でも述べていると思うがノートルダムが燃えた日とぼくが純正の考古学から離れようと決意した日が近接する事実に、運命的な思いを抱いてしまった。首里城について書くことの意味はここにある。

首里城の焼失もまた、ぼくがノートルダム大聖堂の焼失をきっかけにはじめたこのブログの休止のふつか後に起っている。そこでもまたぼくは運命という存在を近くに感じる。

首里城が燃えた

その事実に涙を流すひとたちがニュースに取り上げられている。これには報道的バイアスがかかっていることはもちろんだが、悲しみを抱いている人がいること、そしてそれが与える問いという海に身を沈めることは考古学の存立基盤の本質だ。ぼくはその海の深みに潜り、深海から生物の起源を追求する生物学者のように、モノとひとの関係をそしてその起源を考えたい。

ただ、、、いまは本もろくに読めない。一度あがってしまったその海にふたたび戻れるのだろうか

脚注   [ + ]

1. (厳しく言えば、歴史に残り得る台風19号という災害にほとんど言及していなかった一部の考古学関係者が、文化財の水没という近い問題にのみ反応し意見を言う姿勢に、ことごとくあきれてしまった。
>「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

このブログは、来訪者のみなさんに、ぼくの眼鏡で見た世界を書き表すことによって、色眼鏡を提供すること、それを目的としています。 世界は、正方形でも、まんまるの球体でもありません。見方によって世界は変化します。色眼鏡をかけることによって、それが促されるのです。その色眼鏡をはずし、元の世界をみたとき、あの色眼鏡が見せた世界は何であったのかを考え、「ひとりの木」を育ててほしいと思います。それがこのブログの目的です。

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