考古学:リアルとフィクションをつなぐもの②―恐竜とジョーンズを素材に―

なかつぎ

さて、ここからフィクションな考古学について書いていく。前の投稿である—漢字の問題—で述べた問題はこの投稿の最後らへんにもう一度召喚されるので、そちらを先に読んでもらいたい。

このフィクションな考古学というイメージは、もともとぼく自身の体験から生じた概念である。

フィクションな考古学

ぼくはよく考古学をやっていると言うと、「恐竜やっているんだ」と言われたり、むかし遺跡発掘調査の説明会で、こどもが「恐竜が出ないなら帰る」と鋭いナイフのような言葉を発しているのを聞いたこともある。またぼくの親からは、はじめての発掘から帰ってきたとき「なんか高く売れるものは出た?」と聞かれたこともある。

最近で言えば、東京国立科学博物館でおこなわれている恐竜博2019の感想をTwitterなどのSNSで検索すると、恐竜を考古学の範囲と考えているひとの呟きをみることができる(具体的にはTwitterの検索機能で「恐竜博 考古学」と調べてもらいたい)

ぼくはこの状況から、考古学という学問のリアルな面とフィクションな面が最初に述べた考古学がもつふわふわとしたイメージや多様性によって、乖離が生じていると考えた。

では、考古学と同一視されることが多い、恐竜研究とはどんな研究だろうか。

恐竜はヒトより遥か前にこの地球を支配した動物である。その生息年代は2億3千万年前の三畳紀から6600万年前の白亜紀までだ1)小林快次2015『恐竜は滅んでいない』角川新書。先述した考古学の範囲が330万年前~であるため、考古学者でさえ気が遠くなる時間幅をもっている。

恐竜研究は生物の研究であるため、生物学、なかでも古生物学に含まれる。ちなみにかつてのヒトたとえば、ホモ・ハビリスやホモ・ハイデルベルゲンシスなどといった絶滅したヒトたちを扱う学問を古人類学という。

ぼくは古生物学に詳しいわけではないので、もし誤りがあれば訂正してほしいのだが―実は恐竜も詳しくない―古人類学の研究材料は化石である。恐竜を例にとれば、恐竜そのものの化石や足跡化石がそれにあたる。恐竜は先述したように6600万年前に絶滅しているため、その時代の地層に化石が埋没しているため、恐竜研究でも考古学と同じように、発掘調査(フィールドワーク)がおこなわれる。ここが考古学とのひとつの共通点だ。そして古生物学も読んで字のごとく―この点は考古学漢字表記の問題をクリアしているが―“「古」き”を対象としているので、ここも考古学と類似する。

とりあえず、古生物学、とくに恐竜のはなしはここまでとしいったん舞台から降りてもらおう。次に舞台への召喚をもとめるのは、フィクションな考古学者インディ・ジョーンズだ。

インディ・ジョーンズの誘惑

恐らく一般的な考古学という存在やイメージを語るうえで、インディ・ジョーンズは外せない。ぼくの後輩にも、インディ・ジョーンズにあこがれて考古学者を目指したやつがひとりいるぐらいだ。インディ・ジョーンズと聞いて思い浮かべるのは皮のジャケットをはおり、ハットをかぶり、ムチをもち、命を懸けて宝を求める姿だろう。具体的に映画インディ・ジョーンズを用いながら話を進めよう。

映画インディ・ジョーンズは2019年現在で4部製作されている。1981年にレイターズ/失われたアーク《聖櫃》、1984年魔宮の伝説、1989年最後の聖戦、2008年クリスタル・スカルの王国という順だ。その話のほとんどで、ジョーンズ博士は伝説的な宝を求めて死闘を潜り抜ける。たいていはよくわからない部族と闘ったりする。

映画インディ・ジョーンズの製作時期は基本的に1980年代だが、作中は1作目1936年、2作目1935年—なぜか前作より時間が遡る—、3作目1912(少年期)1938年、4作目1957年となっている。この時代設定は少し興味深い点があるため、次回以降書いていこうと思う。この投稿では今日的にインディ・ジョーンズを解釈するということだ。

まず、ジョーンズは製作総指揮のジョージルーカスが設定したように、考古学者でありながら冒険家であり、墓荒らしでもあり、プレイボーイだ2)ジョージ・ルーカス2008「PREFACE前書き」『メイキング・オブ・インディ・ジョーンズ―全映画の知られざる舞台裏―』J・W・リンズラー著 小学館プロダクション。このジョーンズ博士の各属性のうち、プレイボーイ以外の属性を取り上げ、冒険家であり墓荒らしという、現代の考古学者とは少し異なる側面を第1作と第2作を用いて見ていこう。

1作では最初からジャングルにある遺跡へフィールドワークしているところから始まる。そして見つけた遺跡でトラップを回避しながら、遺跡の奥底に収められた宝を回収する。その宝は結局奪われてしまい場面が転換。大学での講義風景になる。その講義では新石器時代の墓について話をしており、「考古学には危険がつきもの」と述べる3)「」内は実際の字幕を文字起こししたもので参考元はHuluである。。その後、同僚とその宝の話になり、いちおうこの世界には「遺跡保護協定」があるらしく、ジョーンズはこれを守っているとのこと。基本的にジョーンズは博物館のために宝を集めているようだ。

2作はぼくが考えるに一番考古学度が高い作品だ。最初はジョーンズの少年期から始まる。ジョーンズは少年期(1912)から遺物に詳しく、ボーイスカウトの活動中に盗掘者を発見、盗掘者が見つけ出した箱入りの十字架(金に宝石で装飾)を守るために、その十字架だけを奪い逃走するが、結局奪われてしまう。26年後の1938年のポルトガル沖に場面が転換し、因縁のその十字架を奪い返すことに成功。この十字架をめぐる攻防の中で、この十字架は「博物館に収めるべき文化財だ」や「博物館のものだ」という発言がある。

いくつか場面が転換し物語の主題である聖杯伝説に関連する遺跡へ突入する。その遺跡は地下墓地で多くの人骨が岩盤をくりぬいた長方形の穴に収められており、照明としてジョーンズ博士は人骨の一部と、その人骨が身にまとっていた衣服を引きちぎって照明にするというシーンもある。また今作では、ジョーンズ博士の父親も出てくる。その父親は序盤で行方不明になるのだが、その父親が監禁されている場を特定しジョーンズが救出しに行く場面がある。その際、父親が誤ってジョーンズを明朝時代の水指でぶん殴り、貴重な明朝時代の水指を破壊してしまったことを後悔する場面もある。

とりあえずここまでをインディ・ジョーンズの具体例としよう。ではここでリアルな考古学との差を見ていき、ここまでに上げたインディ・ジョーンズ内の考古学がいかにフィクションであるか、そしてなぜジョーンズ博士は現在からみると考古学者というより墓荒らしで冒険家といえるのかを考えていこう。

リアルとフィクション:遺跡

ジョーンズは具体例でも述べているように、遺跡でトラップにはまることがある。実際の遺跡にはトラップなどはない。というよりフィクションの中に存在する遺跡は特に分かりやすいものばかりだ。墓や古代の構造物がそれだ。実際の遺跡はエジプトやマヤのピラミッドみたいな分かりやすいものだけではなく、畑や空き地、山の斜面といった何気ない風景には入り込んでいることが多い。そしてもっと意味合いも地味だ。たとえば江戸時代のごみ捨て場も遺跡である。そんな遺跡を土臭い園芸用品で発掘するのがリアルな考古学。もちろん、古墳など比較的フィクションと親和性が高い遺跡も存在する。

図1 リアルな考古学 ①貝野沢田遺跡での発掘風景 ②史跡植山古墳の石棺

また、フィクションの考古学に登場する遺跡や後述する遺物には、何かしらの魔術が込められていることが多い。インディ・ジョーンズの第2作では聖杯がそれで、この聖杯で酌んだ水を飲むと永遠の命を得ることができる設定になっている。もちろんリアルな考古学ではそんなことはない。

図2 インディ・ジョーンズのフィールドワーク

リアルとフィクション:遺物(モノ)

ジョーンズの遺物の取り扱い方は面白い。先述したようにこの映画の世界には「遺跡保護協定」なるものが存在しているらしい。その内容はわからないが、いまの日本には文化財保護法がある。この法律によって、遺跡は保護されており原則遺物の勝手な持ち出しは褒められることではない。また発掘をするにもいろいろな書類上の手続きがある。また発掘調査ではジョーンズのように目当てのモノだけを見つけ出し、もって帰ることはできない。その遺跡から出土した遺物すべては保護対象になり国民共有の財産になる。インディ・ジョーンズの世界で例えるならば遺跡にあるトラップさえも記録保存しなければいけないし、ましてや人骨とその衣服を引きちぎると怒られる。

また具体例で第2作冒頭、金製で宝石で装飾された箱入りの十字架を奪い返すシーンを紹介したが、ジョーンズはその十字架のみを重要視し奪っている。しかしリアルな考古学では金銭的価値が高い十字架と、それよりは金銭的に劣る箱に考古学的な優劣は存在せず、十字架と箱は等価である。そして何より、いま考古学者が金銀財宝を見つけ出したとしても、金銭的報酬はない。もし、その財宝をひそかに売りに出した場合、それが発覚した途端、考古学者の職を奪われる。ただここでひとつ問題を提議しておくと、珍しく貴重な遺物発見も起こり得る。そのとき考古学者はフィクションのように盛り上がることだろう。またまた、ジョーンズは遺物(財宝)を見つけて、博物館に収めて終わりだが、リアルな考古学では、発掘した遺物を整理し報告するという義務もある。そのため、発掘調査というアウトドアな面と、整理報告というインドアな面がある。

リアルとフィクション:服装と道具

服装について見ていこう

ジョーンズ博士の服装はリアルとは異なると先に述べたが、ぼくが知っている考古学関係者のリアルな服装はたかがここ数年のスタイルでしかないので、できるだけジョーンズ博士と同世代の考古学者の服装についても少し見ていこう。まず、近年の考古学関係者の服装を確認するために今回、母校の発掘調査にお邪魔した。そこで作業に取り組む学生たちの服装は非常にラフ。

女性は基本的に日焼け対策に抜かりがなく、長袖の上着に長ズボンそして長といった感じで、男性の多くは日焼け対策というより厚さ対策を重視しており半そでTシャツと長ズボン、そして長靴や作業用の靴を履いている。帽子に関してはジョーンズ博士のトレードマークであるハットを選びかぶっている人はいなかったがサファリハットを使用しているひと、麦藁帽子のひと、帽子を使用していないひととなっている。ぼくが現役の時はタオルを巻いている人もいた。ここまで述べてきた風景は大学が主催する発掘調査である。発掘調査には大学が主催するもの以外にも、行政が主導するものがある。そこでの服装は主に作業着を使用し、帽子はヘルメットなどを利用する人を多く見かける。

リアルな発掘作業での服装は意外に地味というほかない。ただかつてひとりだけハットをかぶった考古学者を見たことがある。彼はインディ・ジョーンズにあこがれていたのだろうか。。1950年代から60年代の欧州での発掘調査写真をみると、ハットをかぶりシャツをインした男性の姿があるため、諸外国ではフィクションの考古学者と似た服装があるのかもしれない。

図3 リアルとフィクションの服装 ①発掘調査をする学生の服装 ②フランスのコンブ・グルナル遺跡で発掘するひとびと ③ジョーンズ博士の服装

道具について見ていこう。ジョーンズのトレードマークとしてムチも大きな役割がある。まぁ、ムチをもった考古学者など見たことがないし、これまでに存在してないと思う。もしそんなひとがいれば笑われるだろう。考古学者の道具の中に戦うための道具はない。

ここまで見てきたように、インディ・ジョーンズは活劇映画として、考古学という学問に多くの脚色をしている。現在のリアルな考古学では遺跡のトラップもなければ魔術も一攫千金の夢もない。ただ土臭い道具を用いて、半ば無意識的に土を掘り、一般的な給料—もちろん大学教授のぞいて—をもらい、過去の人類行動の復元に勤しむ。そんな地味な作業がリアルな考古学だとおわかりいただけたであろう。そのため、インディ・ジョーンズは現在からみれば冒険家であり墓荒らしと呼ぶのにふさわしいのだ4)ここで現在からみればとつけたのは、インディ・ジョーンズの時代設定ところでも述べたように、一考の余地があるからだ。

ここまでリアルとフィクションを対峙させ述べてきたが、この投稿のタイトルにもあるように重要なのは、このふたつのはざまにあるものである。ではまとめに入りながら、そのはざまとその問題を書いていこう。

リアルとフィクションのはざまにあるもの⇔つなぐもの→おわりに

リアルとフィクションのはざまにあるものそしてそのふたつをつなぐもの、それが先の投稿で述べた“ロマン”だ。このロマンこそ考古学の根源的問題でもあり、古生物学とくに恐竜の問題へと枝を伸ばしてつながっている。

このふたつの学問にはわかりやすい発見と定説の覆しが起こり得る。たとえば、330万年前の最古の石器は数年前に発見され定説が覆された。恐竜では絶滅ではなく、鳥となって進化したという説が登場している5)小林快次2015『恐竜は滅んでいない』角川新書。この何と言えない「ロマン」がこのふたつの学問を時に統一しひとつのそしてフィクショナルな世界へといざなっている。

恐竜学者の小林快次さんは恐竜の発掘はイメージよりも地味と答えていることから6)小林快次2015「第4回「恐竜研究者」に向いている人」『小林快次 恐竜化石フィールド日誌』ナショナルジオグラフィック日本版、恐竜を中心とする古生物学にもさまざまな側面、多様性が存在し、フィクションとリアルの乖離が起きているのだろう。ここも考古学と似ている点だ。

またこのふたつの学問には、学問的想像力が必要である点も欠かせない類似点だろう。イギリスの考古学者であるC・ギャンブルは考古学的なイマジネーションという言葉を使っているし7)C・ギャンブル2004『入門現代考古学』田村隆訳 同成社、コリン・レンフルーとポール・バーンは考古学では創造的なイマジネーションをはたらかせる必要があることを指摘している8)コリン・レンフリー,ポール・バーン2007『考古学—理論・方法・実践—』池田裕ほか訳,松本健速ほか監修 東林書林。考古学に想像力—考古学資料という必然性に基づいた!—は必要不可欠だ。小林快次さんの本を読んでいても、古生物学的なイマジネーションといってもいい思考が登場する9)具体的には『恐竜は滅んでいない』の「第二章 長い時間軸で進化を見つめる」をお読みいただきたい。また、かつて地球に何十メートルもある生き物が存在していたことを想像してもらってもいいだろう。。考古学はモノを中心資料とし、古生物学では化石をそれとする。どちらとも資料が非常に限られた状態で研究をおこなうため、想像力が欠かせないのだ。

そのイマジネーションが重要な位置を占める考古学—古生物学も—によって復元された過去は、いくら学術的必然性があったとしてもフィクション性が高く、その雰囲気は漢字のつながりがもつ抽象さと相まって、ロマンが増幅していく。そして考古学者が警鐘しても、届かないほどにふわふわとしたイメージを成長させ、ときに恐竜と混同され、一攫千金が夢となる。

リアルな考古学は、リアルとフィクション言い換えれば、学術と趣味の決別を望んでいるだろう。しかしぼくは、このふたつの決別や完全な乖離は決しておこならいと考えている。それはフィクションとリアルのはざまにロマンが存在していて、そのロマンはリアルとフィクションの原動力であり、それなしには存在しない。言い換えれば、それは下半身であり人間的要件のひとつだからだ。

ぼくは今後、このロマン(下半身)の問題をポジティヴに受け止め、物質と人間の関係性を主題にすえた、ぼくなりの考古学を構築していこうと、いま思っている。

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 図版引用元一覧

図1
①十日町教育委員会 2019『貝野沢田遺跡発掘調査報告書』 十日町市埋蔵文化財発掘調査報告書第66 集− 主要地方道 小千谷十日町津南線 地域づくり基盤道路整備事業に伴う発掘調査報告書−
②奈良県橿原市教育委員会 2014『史跡 植山古墳』橿原市埋蔵文化財調査報告第9冊
図2
J・W・リンズラー 2008『メイキング・オブ・インディ・ジョーンズ―全映画の知られざる舞台裏―』
図3
①筆者撮影
②F.ボルド 1971『旧石器時代』芹沢長介・林謙作訳 平凡社
③J・W・リンズラー 2008『メイキング・オブ・インディ・ジョーンズ―全映画の知られざる舞台裏―』

脚注   [ + ]

1, 5. 小林快次2015『恐竜は滅んでいない』角川新書
2. ジョージ・ルーカス2008「PREFACE前書き」『メイキング・オブ・インディ・ジョーンズ―全映画の知られざる舞台裏―』J・W・リンズラー著 小学館プロダクション
3. 「」内は実際の字幕を文字起こししたもので参考元はHuluである。
4. ここで現在からみればとつけたのは、インディ・ジョーンズの時代設定ところでも述べたように、一考の余地があるからだ。
6. 小林快次2015「第4回「恐竜研究者」に向いている人」『小林快次 恐竜化石フィールド日誌』ナショナルジオグラフィック日本版
7. C・ギャンブル2004『入門現代考古学』田村隆訳 同成社
8. コリン・レンフリー,ポール・バーン2007『考古学—理論・方法・実践—』池田裕ほか訳,松本健速ほか監修 東林書林
9. 具体的には『恐竜は滅んでいない』の「第二章 長い時間軸で進化を見つめる」をお読みいただきたい。また、かつて地球に何十メートルもある生き物が存在していたことを想像してもらってもいいだろう。
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