考古学:リアルとフィクションをつなぐもの①―考古学という漢字の問題―

はじめに

「考古学と聞くと一般の方々はなにをイメージするんだろ?」

ぼくは学生時代に一般向けの博物館展示をいくどか企画実施したことがある。そのとき考えるのがこの疑問だ。それについてぼくはこう考えている。考古学にはさまざまな側面があり、その多様性から考古学という学問のリアルなさまとは違った、イメージがふわふわと浮遊している。と。

この投稿と次の投稿では、そのふわふわとしたイメージとして存在する考古学の根源的理由を考えるためにリアルとフィクションを対峙させる。そのとき、素材として今回の漢字の問題や次回のインディ・ジョーンズや恐竜を召喚していこう1)ちなみに、櫻井準也さんという考古学者が、ポップ・カルチャーの中に存在する考古学者について、多くの論文を発表している(櫻井準也 2018「日本の漫画作品に描かれた考古学者(4 )―2000年代―」『尚美学園大学総合政策研究紀要』第32号など多数)。これら論文ではその時代における考古学者のイメージが投影されているという命題を掲げ論を進めており、数多くの考古学者が登場するマンガなどが整理されている。その結果、考古学者像が1950年代から2000年代までに変化していることを明らかにし、考古学者像はもともと太った体型で禿げ頭、丸眼鏡を掛け、普段はスーツ、フィールドワークでは作業着やサファリ・ルックというイメージが90年代ごろには多様化しリアルな考古学像が選択されていると述べた。

重要なので先に述べておく。この2連投稿での最終到達地点は“ロマン”である。そう、非常に簡潔かつあたりまえな結論へと向かう文章がこれから続いていくことになる。そのため、「なんだ、そんなことかー」と思ったひとはそっとページを閉じるほうがいいかもしれない。しかし、このロマンは根深い問題であり、ぼくが今後言語化していきたいと考えていることでもある。そのとき、ロマンを過去・記憶・記録媒体・忘却・怠惰を用いて書いていくことになる(現状では)ため、この投稿はそれに向けたイントロといえる存在になるはずだ。。

考古学という漢字のつながり

先に、考古学のリアルとフィクションについて書いていくと述べた。そのためにまずこの投稿では、「考古学」という名前について考えていきたい。そのため少し横道にそれよう。

日本人は、ひらがな・カタカナ・漢字というみっつの表記体系をもつ独特な言語文化をもっている。少し記憶をさかのぼるとわかることだが、この表記体系について、ぼくたちは意識・無意識的にいろんなことを感じ取っている。

みなさんは詩集などを読んだことがあるだろうか? ぼくはかつて合唱をやっていたため、詩集を読む機会が比較的多かった。そのときある表記法をとっている詩集にであう。それはすべてひらがな、またはひらがなを多用した詩集だ。具体的に言えば、まど・みちおの詩にはすべてひらがなで表記されたものが多く、代表作「ぞうさん」がそれである。

ひらがなの詩はじつは読みにくい。漢字が多用された文章のほうが早く読むことができる。例をあげると「ぼくはあなたのたんじょうびをいわいにきた」という表記より「僕はあなたの誕生日を祝いに来た」の方がすらすらと読むことができるだろう。ぼくたちは漢字をもちいることで瞬時に文節や意味を捉えている。

漢字の意味は同音異義語でも発揮されている。日本語に同音異義語がおおいことはみなさんもなんとなくわかっていることだろう。たとえば「はし」という言葉・音から与えられる意味は「橋」「箸」「端」・・・など多様だ。そのため発音するときのイントネーションや先のように漢字によって意味が異なる。

アニメ 一休さんの有名なトンチを思い描いてもらいたい。橋のまえに「このはし渡るべからず」という看板がある。「はし」という表記では意味が何通りか出てくるので、一休さんは持ち前の屁理屈脳を回転させ、「端」ではない中央を渡った。ひらがなはそのまま音を表し、意味を持たない。しかし、漢字に変換することによってその文字には音はもちろんのこと、そこに意味が含まれる。漢字は非常に記号的といってもいい存在だろう。

また漢字には音写によって表記されたものもあり、仏教経典の中に多く存在する。たとえば仏陀という文字も、古代サンスクリット語の音写である。

では本道にもどって、「考古学」という名前と漢字をながめてみるとどうだろうか。

この漢字は「こうこがく」と読むが、英語では「Archaeology (アーケオロジー)」と表記・発音するので、もちろん音写ではない。

漢字について、そのまま考えると「考」え「古」き(いにしえ・古代でもいい)「学」問となり、言葉にすれば「古きを考える学問」という意味として解釈できる。そしてこの意味は非常に抽象的と思うだろう。ここが重要である。なぜなら「古き」とはどこからどこを指すのか、「考える」とはなにを考えるのだろうか、それについての答えは「考古学」という学問の漢字表記からは推測、考察不可能であるからだ。

また、「古」を「古代」と読み替えてみてもいいとも述べたが。しかし、「古代」というワードも比較的抽象的であるはずであり、歴史にリテラシーがあるひとなら「古代」の範囲を特定することができるが、まずもって、「古代」の範囲を知っているひとは、リアルな考古学をある程度理解しているひとであることは間違いない。そのためこの投稿では「古」を「古き」と読む。

ぼくはこれが考古学がふわふわとしたイメージとして存在するひとつの根源であると考えている。そう。考古学という漢字を目の前にしてもこの漢字のつながりからは記号的に具体的意味がくみ取れないのだ。

では、ここでリアルの考古学についてもう少し深く入り、考古学のリアルを見ていこう。

リアルな考古学

まず、リアルな考古学では“「考」える”と“「古」い”の範囲はほぼ同一線上に位置している。結論を先に言うと、考古学はヒト(人類・人間)、特にそのヒトが起こした行動をモノ(石器や土器や陶器など)から「考」える学問であり、その視線は「古」き(過去)をながめている。

ヒトそれ自体は総称として二足歩行を主な移動手段とする動物であるが、現在もっとも古い人類化石(人類の出現を意味する)700万年前のものだ。そして道具の製作開始は330万年前2)AFP BB NEWS 2015年「人類最古の道具、330万年前の石器発見」(2019年9月8日閲覧) であるため、考古学があつかう範囲は330万年以降となる3)余談だが近年、考古学的な目線が人間から解放された研究事例がある。具体的にはラッコの貝割の研究や、最近日経サイエンスで扱われた霊長類考古学がある。これらの研究は考古学の裾野を生物学の視線から拡張するものであり注目している。。ここでひとつの疑問がたちあらわれてくる。それは、330万年からどこまでが考古学の範囲なのか? ということだが、これは次回以降考えていこう。

この投稿と次の投稿では、リアルな考古学とは、過去に行われたヒト(人類:人間)の行動などをモノ(道具)から分析する学問と考えてもらえればいい。ここまでが考古学という漢字のつながりからでは読み解けないリアルな考古学の内容だ。

この投稿ではここまでにして、次の投稿で最初に挙げた恐竜とインディ・ジョーンズを召喚して考えていく。

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脚注   [ + ]

1. ちなみに、櫻井準也さんという考古学者が、ポップ・カルチャーの中に存在する考古学者について、多くの論文を発表している(櫻井準也 2018「日本の漫画作品に描かれた考古学者(4 )―2000年代―」『尚美学園大学総合政策研究紀要』第32号など多数)。これら論文ではその時代における考古学者のイメージが投影されているという命題を掲げ論を進めており、数多くの考古学者が登場するマンガなどが整理されている。その結果、考古学者像が1950年代から2000年代までに変化していることを明らかにし、考古学者像はもともと太った体型で禿げ頭、丸眼鏡を掛け、普段はスーツ、フィールドワークでは作業着やサファリ・ルックというイメージが90年代ごろには多様化しリアルな考古学像が選択されていると述べた。
2. AFP BB NEWS 2015年「人類最古の道具、330万年前の石器発見」(2019年9月8日閲覧) 
3. 余談だが近年、考古学的な目線が人間から解放された研究事例がある。具体的にはラッコの貝割の研究や、最近日経サイエンスで扱われた霊長類考古学がある。これらの研究は考古学の裾野を生物学の視線から拡張するものであり注目している。
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