前・中期旧石器時代捏造事件へのぼくの視線

はしがき

この度、ぼくの小論「遺跡の立地状況と実験考古学」月刊 考古学ジャーナル』No.730“特集前中期旧石器捏造から20年”に収録された。ぜひ読んでほしいと思っている。この投稿では紙面の関係で小論では述べることができなかった広い話をしていこう。

なおここでは、ぼくの小論の内容はあまり触れない(著作権の関係もあるし)、内容それ自体はこの特集をお読みいただきたい。しかし、専門論文であるため、専門外の人からすればなれないワードが出てくるだろう。その場合はググってもらいたいが、それでもわからない場合はTwitterDMなどから質問してほしい。

所属なしということ

まず、考古学ジャーナルを読んだことがあるひとならわかると思うが、この冊子には執筆者の所属の欄があり、ぼくはそこに“元愛知学院大学”と書いている。そう、ぼくはいま考古学のアカデミックな世界に属していない。そんなぼくが書いた小論である。しかし、この冊子を通し読みしてみると、ぼくの小論はいい立ち位置をしめているのではないかと思う。それについては後述する。

執筆者

 さて、執筆者を見てみよう。まとめ役は愛知学院大学非常勤講師(元愛知学院大学教授)白石浩之先生。ぼくの恩師であり、この特集に当たってぼくにお声がけくださった。それに奈良大学の坂井秀弥さん、愛知学院大学の長井謙治さん、国立科学博物館の海部陽介さん、札幌学院大学の大塚宜明さんが執筆している。皆さんはちゃんとしたアカデミシャンであり、ぼくは、もはやトリッキーなアナーキー的存在感を醸し出している。。

各人の内容は、白石、坂井のおふたりは捏造事件の反省点をまとめており、導入として良い役割を果たしている。長井さんは朝鮮半島の新華里遺跡と長野県竹左仲原遺跡という後期旧石器時代を遡る遺跡を比較検討した。大塚さんは自身のバックグラウンドを生かした展開をみせ、日本列島における後期旧石器時代文化を概観。海部陽介さんはこの特集の中で唯一、人類学者あることから、良い意味で無責任的に今後の考古学の方向性をながめている1)月刊 考古学ジャーナル』No.730“特集前中期旧石器捏造から20年”を参照のこと。そんななかぼくはどのような論を展開したかを書いていこう。

知らない世代と責任

ぼくはこの特集の執筆者の中で、最も若い25歳である。最年長が白石先生で今年で73歳になるはずだ。ぼくとは半世紀近い年齢差がある。そして、捏造事件の開始は1970年代、発覚が2000115であるため、ぼくにこの事件のリアルタイムな記憶はない。そのため、小論の中でぼくのような世代を、「知らない世代」と名付けた。まずこの「知らない世代」がひとつの重要な概念である。

次に「責任」というワードを使用した。ぼくがこのワードを使ったのは、個々人が捏造事件という歴史的な事件(なぜかは後半で)からどのように歴史を構築していくのか、そしてそれを諦めてはいけない。祭りに興じてはいけないという意味で使用したワードであり概念である。

このふたつの概念を使用した背景には、ぼくなりのある研究者への返答と、歴史観(これについては後半で)がある

その研究者はぼくに捏造事件を考えるきっかけを与えた “竹岡俊樹”という人物である。

竹岡俊樹というひと

ぼくが学部3年のとき、大学の研究室で竹岡俊樹さんが書いた『旧石器時代の型式学』という本に出会った。

ぼくは竹岡さんの存在をそのとき認知したのだが、まだ漠然としたイメージしか持ち合わせていなかった。しかし、竹岡俊樹さんが捏造事件に大きく関わり、そして彼が旧石器時代(考古学)研究史上非常に重要な人物であることを後日知った(むろん、竹岡さんへ多くの批判があることも承知しているし、ぼくも竹岡さんに全面賛成という訳ではない)

そしてぼくは竹岡さんの論文や著作を読み漁り、その過程で理解したことは、彼の石器(考古学)にたいする愛と、捏造事件を中心とする日本旧石器研究への批判だった。

その過程を明瞭にするため、彼のこの事件における功績と事件そのもの経緯を述べよう。詳しく知りたい方は竹岡俊樹著『考古学崩壊』を読んでほしい。

まず竹岡さんの経歴を紹介する。竹岡さんは香川県国分台という場所で石器を採集する考古学ボーイだった。その後、明治大学や東京教育大学、筑波大学で日本考古学を修めた後、アンドレ・ルロワ=グーランの『身振りと言葉』をモデルとした学問を構築するためにフランスのパリ第6大学(ピエールとマリーキューリー大学)へ留学し、同国のル・ラザレ遺跡やテラ=アマタ遺跡の分析をおこなっている。

このふたつの遺跡は前期旧石器時代に帰属する遺跡であり、前者が13万年前、後者が38万年前、気の遠くなる果てしない時間の隔たりがある資料群である。そしてその遺跡で石器と呼ばれる石を素材とした道具を製作し使用したのは、わたしたち現生人類であるホモ・サピエンスではなく、ホモ・エレクトスだった。彼はその遺跡の石器群をフランス流ではない方法で解釈し博士論文を提出、日本へ帰国した。

そんなバックグラウンドを持つ竹岡さんは、捏造事件の出土品(石器)を一目しただけで見抜いている。捏造事件では多くの場合、縄文時代(1.6万年前~)の石器や偽石器(詳しくは後述)を、前・中期旧石器時代相当の土層に埋め込んでいる。そのため、前期旧石器時代の石器を知るひとからすると捏造資料には違和感が出る。

その違和感を1998年『旧石器考古学』という学術雑誌に「「前期旧石器」とはどのような石器群か」と題して論文を投稿しているが、この論文に対する学会などからの反応はほとんどなかったという。すくなくとも「知らない世代」である、ぼくたちから見て評価できる活動はごく一部であったことは間違いない。

竹岡さんはのちに、毎日新聞記者からの取材を受け、捏造の可能性を指摘し毎日新聞社のジャーナリストにこの問題の解明を託している。そして2000115宮城県上高森で、藤村新一さんという在野研究者が石器を地面に埋め込んでいる場面を写真に収めスクープした。それによって藤村さんがかかわった1970年代よりつづく北海道から関東にいたる前・中期旧石器時代「遺跡」のほとんどが捏造であるとされ、登録が抹消。日本列島の歴史が黒く塗りつぶされた。

ここまでが竹岡さんの経歴と捏造事件の過程である。竹岡さんがこの事件の解明者であり、第一人者であることは間違いない。そして彼はこの事件の根本的な問題として、日本石器研究の問題をいくつか指摘批判した。その中のひとつがぼくにとって、この投稿にとって重要であるため、以下に述べよう。

宮城県上高森で捏造され60万年前の宗教を示すとされた石器

捏造から与えられたいくつかの課題

石器研究者は石器を遺跡から発掘して分析する。竹岡さんはこの分析に問題があると主張し、こう語っている。「2000115日に発覚するまでの二十数年間にわたって前期旧石器時代遺跡の捏造を見破ることができなかったという顚末(中略)の原因は研究者たちが石器の製作技術を十分に捉えることができないことにある。」2)竹岡俊樹2004『石器の見方』「あとがき」205-206頁:205竹岡さんは石器のみるという行為、製作技術を捉えるということの弱さを指摘した。

このことをもう少し具体的に事件と絡めながら見ていこう。

石器は石を素材とした先史時代の道具をさす。その製作技術は剥離、敲打、研磨のみっつに大別できる。詳しく述べていると文字数がブクブクと膨れ上がるので、ここでは述べない。詳しく知りたいひとは石器研究の参考書や先に挙げた『考古学崩壊』などを読んでほしい。

石器は自然界にそのまま存在している石をこれら技術で改変したものであるため、人工的に割られ(剥離)、敲かれ(敲打)、磨かれ(研磨)ていなくとも、自然の力によって人工品()のように見えることもあるこれらを偽石器(ぎせっき)と呼ぶ。石器には人工的な痕跡があり、石には人工的に見える自然的な痕跡が認められることがあるということだ。

このような痕跡の由来を石器研究者はある程度見抜くことができるはずだった。しかし捏造事件によってそれが不十分であることがはっきりしてしまう。

先に挙げた剥離という技術の中には押圧剥離という技術が含まれている。押圧は、石器に先端がとがった加圧具(鹿の角の先端など)を押し当て、その圧力で加工する技術だ。その技術はホモ・サピエンス特有の技術であるため、いわゆる前・中期旧石器時代には存在しない。しかし、その押圧剥離痕がある石器が、藤村さんによって前期旧石器時代相当の地層に埋め込まれた結果、その技術的痕跡を見破れなくなってしまった。

埼玉県小鹿坂で捏造された押圧剥離をもつ石器

先の「前期旧石器時代相当の層」というのがキーである。

考古学には「層位は型式に優先する」という言葉がある。古い地層から新しく見える遺物が出土しても、地層が古いのだからその遺物も古い。というニコラウス=ステノやウィリアム=スミスの地層累重の法則をもとにしたロジックだ。当然、この法則が当てはまるのは自然堆積した層のみであり、地層の順序がバラバラになるような人為的・自然的改変、例えば畑作農業などや、地震などによって地滑りした層には適用できない。そのことについては、考古学者は承知していた。

しかし、捏造事件では自然堆積層に石器が埋め込まれたため捏造を暴くことができず、「層位は型式に優先する」という命題通りに認知してしまい、押圧剥離痕をもつ縄文時代の石器を、前期旧石器時代に帰属するものだと誤認した(ちなみに捏造の中で火砕流に起因する層中から石器が見つかったこともあった)

だが先述したように、竹岡さんはそれら捏造石器を一目で見抜いる。そしてその他多くの研究者は押圧剥離痕がある石器を見逃したことは事実である。そしてこの問題がこの捏造事件の本質だとぼくは考えている。

もし、いま捏造事件と同じ行為が繰り返され、目の前に前期旧石器時代とされる石器(実は縄文石器)があったとしたら、ぼく()は見破れるだろうか……。そんな疑問や不安がこの捏造事件について深く考えるきっかけをぼくに与えたのである。その点で「知らない世代」であるぼくにもタイムリーでもあり、そしてその問題への竹岡さんの批判は、「おまえら「知らない世代」はみぬけるのか!?」と問いかけられている気分にもなった。

そんな経緯から、ぼくは捏造事件について竹岡俊樹さんの批判(遺物分析の問題)に答えることを目的とし、そして「知らない世代」としての「責任」を創出させたのである。

捏造事件の問題は遺物観察のみではなく、発掘調査の問題を含んでいるため、打開策を発掘調査に帰属させる人も多い。そしてその主張も正しい。具体的に言えば、捏造事件発覚後の検証によって、捏造遺物の出土地点の土層には、石器を埋め込んだ際に生じたスコップの跡が検出された。

また、石器が出土する発掘調査経験がある方ならお分かりいただけると思うが、石器は何千年、何万年も地中に埋まっていることから、土にしっかりと石器の跡がつくほどに張り付いている。しかし、捏造石器は最近埋め込まれたものであるため、土にしっかりとした張り付きがなかったことも解明されている。それら痕跡を発掘調査の段階でしっかりと確認すること、それによって今後捏造を防止することができると考えられ、現在、遺跡の発掘では慎重に慎重を重ね、非常に詳細なデータが採集されている。この点は捏造事件から得られ実行された教訓であり、この状況を旧石器研究者は内外に周知する必要もあるだろう。しかし、ぼくの問題意識は、先述した通り発掘重視のひとたちとは違う。

捏造石器と埋め込み痕跡

遺跡の発掘は不可逆的なものであり、一度遺跡を発掘(破壊)すると、もとには戻せない。そのためできる限り正確な記録をとるのだが、その記録はそのひとの能力値によって大きく変動する。しかし遺物は遺跡が発掘(破壊)されても基本保管されるため、いつでも観察が可能であり、多くのひとの再チェックが可能である。

だからこそ、ぼくは、先述したように竹岡俊樹さんへの返答として「石器(遺物)がもつ情報をいかに解読するか」を捏造事件からの課題として設定し、その課題を「知らない世代」の一員として「責任」を自分に与えた。それがこの特集に組まれたぼくの小論の意義であり、竹岡俊樹という研究者への返答である。

そして歴史から「責任」を生じさせること、それがぼくの「歴史観(歴史の意義といってもいい)」だ。

ぼくが論じようとした「知らない世代」としての「責任」は非常に私的な事情から創出された。読む人からすればこの「責任」はくだらなく、一般的でない非学術的だという批判をいただくかもしれない。しかし、考えてみてほしい。竹岡俊樹さんがぼくらに与えた批判は歴史的なものであるはず。それに答えようとする私的行為は歴史的行為と表裏一体ではないだろうか。

ぼくの歴史観をここで書いておこう。

ぼくは考古学を歴史学の一領野であると考えている。先日Twitterで「考古学は歴史学か」という軽い論争が起こっていたが、ぼくはこの立場を譲らない。そしてぼくは歴史学過去指向だけの学問とは思っていない。歴史学現代指向であるべきだと考えている。歴史学は現代に繋がるべきだ。

その考えをもとに考古学そして捏造事件をながめてみると、捏造事件は考古学という限られた事件ではなく、広く一般的な事件であり、歴史問題であると言える。そしてぼくが考えるように、考古学が歴史学ならば歴史学者としてこの問題を無視することはできない。

そう。ぼくは、竹岡俊樹さんへの返答という私的事情(歴史的行為と表裏一体)で歴史学としての考古学の「責任」のひとつを果たそうと考えているのだ。

社会性があるものとして

ぼくは小論でも、この投稿の中でも通奏低音的に「責任」という概念を使用している。そしてその理由を述べてきた。ここで小論の中では登場させることができなかった、社会性という概念を用いてもう少し、この捏造事件の問題を広げて考えて結びとしよう。

ぼくは溝口孝司さんがたびたび言及しているように考古学は現代社会のひとつの領野だと考えている。ぼくたちは現代社会の中において考古学をしているのだ。溝口さんはベリーズ共和国領域でのマヤ民族の権利を具体的に用いつつ、考古学の社会性を述べている3)溝口孝司2019「考古学の社会性と未来(七隈史学会 第二十回大会 研究発表要旨)」『七隈史学』第21号 212-123・「考古学の社会性と未来(小シンポジウム「市民と考古学)講演録)」『七隈史学』第21号 186-170など他多数で考古学の社会性について述べている。ぼくはそのベクトルではないが、捏造事件日本列島の歴史(虚無な)70万年前まで拡張させ、そして奪った事件である。先述したように旧石器時代研究史だけでも、考古学研究史でもない、日本の歴史に関する問題であるはずで、その本質は社会的であるはず。

その事件を見抜けなかった社会的存在として(社会性をもつ)の考古学の責任は重い。そしてその責任は「知らない世代」であるぼくたちにも、歴史的「責任」(当事者的ではないことは事実であるため“歴史的”という言葉を使用する)として重くのしかかっている。

だからこそ、ぼくたちは「知らない世代」として存在することに甘えを抱かず、ストイックにこの事件と向き合う「責任」がある。そして歴史を構築するべきだ。

近年、実験考古学が盛んになり、石器の製作技術やその他痕跡の同定は、大いに進歩した。このことは喜ばしい。ぼくはこの近年の動向を、個々人が2000年の捏造事件という社会的な事件の上に再度位置させ、理解してみてはどうかと考えている。そのとき、ぼくたちにはさまざまな「責任」が自然的に創出されるはずであり、それこそ、ぼくが正しいと思いたい研究のモラルである。

そして少し強引かもしれないが、「知らない世代」というワードを「知らない地域」や「知らない専門」と拡張してもいい。というよりその必要性を感じている。前者は捏造事件が起こった東日本以外に住むひとびと、後者は前者と共通するところもあるが、石器研究者や先史時代研究者ではないひとびとである。先述した通り、この問題は日本国の歴史の問題だ。「地域」と「専門」もその中に含まれていると考えていいはずだ。専門外だから違うなどと寝言を言い続けることはできない。

あとがき

あとがきとしてもうひとつ、Twitterで呟いたことだが小論の中では藤村新一さんの名を出していない(この投稿中では内容的に出さざるを得なかったが)。これは意識的におこなった。

ぼくは常日頃から、捏造系の論文を読むと辟易とする。。

この系統の論文や著作には彼の名前を冒頭に持ってくることが多い。それは事実を書くという学術的な問題であることはもちろん理解している。しかし、「藤村がやったんだ」という姿勢はもうやめたほうがいい。彼の名を出すと議論が安易になってしまうのだ。実行犯はひとり、しかも自供もしている。そうなると事件の因果関係は明快だ。しかし、彼のその行為を見抜けなかったのは、ぼくたち考古学者である。

だからこそ、ぼくは恩師を批判することになるが、白石浩之先生の「藤村が汚した(後略)4)白石浩之2019「総論 前・中期旧石器時代問題20年の教訓と研究の方向性」『考古学ジャーナル』9月号 No.730 3-6頁:3というような、認識と記述はあまり建設的ではないと考えている。そこで「知らない世代」のぼくたちは、冷静にそして歴史的事件としてあの事件を扱うのはどうだろうか? もちろんこれは世代の違いが影響していることは重視している。

とりあえずぼくは、「藤村がやったんだ」という姿勢を批判する。ぼくたちに藤村氏を断罪する資格はない。もちろんのこと“藤村新一”という名前を出し議論の帰結をそこに見出すことこそが、「知らない世代」としての「責任」と考えるひとはそうしてもらいたい。しかしぼくはそう思わないので対話を続けよう。

副作用についてもすこし。

長井謙治さんの具体的な論考や、大塚宜明さんの日本列島石器群の論考などは各個人のコンテクストを発揮したよい議論だと思う。しかし、ぼくはこの方向性で捏造事件の返答を進めていくことには賛同できない

この方向性は捏造事件そのものが、前期旧石器などの古い時代の研究のみに帰属する問題と考えられるのではないだろうか? そのような素晴らしい研究の裏にあるかもしれない「副作用」についても20年の節目に考えるべきだろう。誤解がないように言っておくが、ぼくはもっと前期旧石器関係は慎重になれと言っているわけではない。ぜひ今後も新たな理論や新資料の発掘を期待したいと思っている。

困難を極める前期旧石器研究打開の糸口を捏造事件の再評価から得られるとぼくは思わない。再評価から得られるべきは「責任」とぼくは考えている。ただそれだけのことかもしれないが、ぼくは重要だと主張したい。

この続きはcodocで購読

参考文献

竹岡俊樹1998「「前期旧石器」とはどのような石器群か」『旧石器考古学』56
竹岡俊樹2003『旧石器時代の型式学』学生社
竹岡俊樹2014『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』勉西出版
日本考古学協会2003『前・中期旧石器問題の検証』

PS.実はこの小論は遺跡形成過程という、その遺跡がどのような過程を経てぼくたちの前に存在しているのかを問う目線で書いている。なぜその目線を選んだのかについては、公金が大量投入されている考古学という学問のもうひとつの社会性へ答えるためでもあった。小論では紙面の関係で述べてはいないが、刊行された報告書の質を学生が中心となって行政とともに再構築していくことは可能ではないかと考えたのだ。今後気が向けばそのことにも書いていこうと思う。

更新

2020年1月23日に更新しました。この更新が最後になります。

脚注   [ + ]

1. 月刊 考古学ジャーナル』No.730“特集前中期旧石器捏造から20年”を参照のこと
2. 竹岡俊樹2004『石器の見方』「あとがき」205-206頁:205
3. 溝口孝司2019「考古学の社会性と未来(七隈史学会 第二十回大会 研究発表要旨)」『七隈史学』第21号 212-123・「考古学の社会性と未来(小シンポジウム「市民と考古学)講演録)」『七隈史学』第21号 186-170など他多数で考古学の社会性について述べている
4. 白石浩之2019「総論 前・中期旧石器時代問題20年の教訓と研究の方向性」『考古学ジャーナル』9月号 No.730 3-6頁:3

まじめな話の最新記事8件

>「ひとりの木、考古学」は、考古学的な視線を現代に生かすことを目的としています。

「ひとりの木、考古学」は、考古学的な視線を現代に生かすことを目的としています。

考古学、それはかつての人間(ヒト)によって残されたモノを観察し、そこから忘れ去られた、なにか(行為や情景などなど)を呼び覚ます学問です。そのため、一般的に考古学は人文学、特に歴史学の中に含まれます。 歴史学に含まれるという学問的性質上、考古学者はよく過去に囚われてしまうのです。このブログは過去に囚われない考古学を構築し、現代へとその視線を広げます。

CTR IMG