ちょっと東京へ④ 高畑勲展へいく

はじめに

ちょっと東京へシリーズ第4弾。これで最後です。この投稿は表題通り東京国立近代美術館でおこなわれている、高畑勲展について書いています。

ちなみにこの展覧会で得た刺激は、今後の考古学的分析にも生かしていこうと思っているので、ぜひ読んでいってください。

高畑勲という人

皆さんは高畑勲というアニメーション映画監督を知っていますか? ジブリが好きな人だったらもちろん知っていると思いますが、ジブリをなんとなく知っている人には、あまり知られていないかもしれません。

実際、宮崎駿よりは知名度は低いでしょう。しかし、高畑勲は世界的にも評価され、高畑勲という人を知らなくても、彼が手掛けた作品は、あまりにも有名です。例えば、「アルプスの少女ハイジ」、「赤毛のアン」、「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「かぐや姫の物語」などなど。非常に素晴らしい作品を残しています。

そしてぼくは、これら作品のみではなく、高畑勲という人物そのものにも、只ならぬ影響を受けています。彼が考えていたことは、ぼくにとって何よりも面白く、何よりも刺激的であったんです。

しかし、その高畑勲は去年、2018年4月5日に82歳で亡くなりました。この時のことをはっきりと覚えています。ちょこっとだけそのことについて書いておきます。

高畑勲が亡くなった日

4月6日早朝4時ごろ目が覚めました。いつもの癖でそのままスマホに手を伸ばし、Yahooニュースを見てみると、高畑勲が死去というニュースが。その投稿時間は確か、ぼくが起きてから少しあと。最初は情報が少なく、ジブリの公式HPにも書かれていなかったので、まだ現実味がありませんでしたが、時間がたつにつれ記事の数も多くなり、YouTubeにも動画が投稿されたため、本当のことだと受け止めました。

その後、2018年4月13日に「火垂るの墓」が、5月18日には遺作「かぐや姫の物語」が金曜ロードショウで放映されることに。かぐや姫の物語のEDで、二階堂和美さんの「いのちの記憶」が流れ、そして最後、「高畑勲監督ありがとう」という文字が。ぼくは耐えきれませんでした。

高畑勲が死んだ。というニュースを見てから、心には大きな穴が。いまは人間の素晴らしい能力の一つ「忘れる1)この忘れるという概念もぼくが今後、歴史を語るときに重要になってくるので、良かったら頭の片隅に置いといてください。」によって、その穴は小さくなりましたが、まだその存在を感じます。

さて本論へ行きましょう

高畑勲

この高畑勲展は、高畑勲が亡くなってから1年以上たってからの開催です。タイトルは「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの高畑勲がどんな人物だったのか、そして彼がやり遂げ、遺したものは何だったのか。を追う展示になっています。展示の写真は一枚もないので、図録を引用しながら書いていこうと思います。がしかし、あまりにも膨大な情報量だったので、今回は高畑勲が遺したものをぼくがどう受け入れるかを考えていこうと思います。

まずこの展示会は第1章から第4章までに区分されています。それをごく簡単に見ていきましょう。

第1章 出発点 アニメーション映画への情熱

この章では高畑勲がなぜ、アニメーションに心ひかれたのかを中心に見ていくことになります。実は高畑の出身大学は東京大学文学部仏文科。そんな経歴を持つ彼はある時、あるアニメーション映画にであい、アニメで思想を思想としてではなく、表現として語ることができる。と察して、そこに活路を見出しアニメの世界へ入っていきます。

そして「太陽の王子 ホルスの大冒険」などを製作していきます。

第2章 日常生活のよろこび アニメーションの新たな表現領域を開拓

高畑はホルス以降、テレビアニメーションへ参加し日常生活を事細かくすくっていく、日常のアニメを制作していきます。その中で「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」などが生まれてきます。そしてこの時、ぼくが重要視しているアニメ初のロケハンが行われており、ハイジの時にはスイスに出向きその風土とその中で暮らす人々の生活をスケッチするという作業が小田部洋一、宮崎駿によっておこなわれ、その仕事はまるで、文化人類学的なものを感じさせます。

第3章 日本文化へのまなざし 過去と現在との対話

この段階から高畑は、章のタイトルにもなっているように日本を舞台とするアニメへ転向。その時高畑は「日本人が日本のアニメをつくること」を考えていたそうです。そして、いくつかの日本的な作品を制作(「じゃりン子チエ」や「セロ弾きのゴーシュ」)したのち、高畑はスタジオジブリの設立に協力。その環境下でアニメ制作へと励み、「火垂るの墓」や徹底的なリアリズムに基づいた「おもひでぽろぽろ」、多摩ニュータウンの開発とタヌキの哀れな反撃を描いた「平成狸合戦ぽんぽこ」を制作していきます。

第4章 スケッチの躍動 たなアニメーションへの挑戦

徹底的なりリズムを文字どおり、徹底した高畑は次にデフォルメーションの方向へと進みます。その結果、塗り残しなど余白を生かした手法やラフスケッチ的なあやふやな表現をアニメにするという、すごいことをやり始め、その結果「ホーヒケキョとなりの山田くん」や「かぐや姫の物語」が生み出されます。

ちなみに、ぼくが高畑勲という人間の面白さに気づいたのは、このかぐや姫のメイキングビデオ「高畑勲、『かぐや姫』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~」を見たときです。本当に衝撃を受けました。高畑勲が考えていること、いたことは、ぼくには到底考えつかないものであり、そしてぼくはその領域に近づきたいと感じ、いまちがう世界で努力しているわけです。ぜひ見てみてください。

この展示の構成は高畑勲自身の人生の転換、パラダイムがいかにシフトしたのかという構成で組まれていて、とてもよかったです。この展示の企画アドバイザーである叶精二さんは、高畑勲の作品に対する姿勢について「高畑勲は「弁証法の人」である。一つの成果を得ると、必ずそれを否定し、より高次の段階と歩を進めてきた。」2)叶精二 2013 「「かぐや姫の物語」高畑勲論 「弁証法の人」高畑勲監督の到達点」『キネマ旬報セレクション高畑勲「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「かぐや姫の物語」まで』26-34頁:26頁と述べています。まさにその通りで、高畑勲は常に自分を批判的に見つめていました。その姿勢は本展示会で展示された高畑の書き直しの多いメモからも想像できます(下図)。

 
POINT

 

これから先、脚注(文字の横にある1))に参考文献を載せている場合があります。その1)をクリックすると脚注に飛び、脚注の本文に戻るをクリックすると元の位置に戻ります。下の図に参考・引用文献の表記ついて書いておいたので、ぜひ引用元や参考元が気になったら買って読んでみてください。また脚注には、本文に沿うちなみに的な文章を書いていることもあるので、ぜひクリックを!

 

高畑勲が残したものを受け取るために

まとめに入ります。ここではぼくが高畑勲から何を引き継ごうとしているのかを書きます。なので一般性はなく私的内容にならざるを得ません。しかし、高畑勲自身はぼくが考えるに非常に一般的な人間です。なので、皆さんが直接展示を見に行くことで高畑勲を知り、そこから「高畑勲が遺したもの」を感じてもらえればうれしいです。

先ほど高畑勲の弁証法的思考について述べました。高畑勲はかつて自分がやったことを自己批判し次のステップへと歩を進めます。その姿勢はぼくの学問的性格にも大きな影響を与えています。ぼくもできるだけ過去の自分のものの考え方を否定し、次のスッテプに進むことを目指していました。その結果がこのブログです。純正な考古学ではない考古学を構築する。この目的は過去の自分を否定することによって、芽生えたと言っても過言ではありません。

そしていま、ぼくは高畑勲が遺したものを、いかに考古学的なに解釈するようか、必死に考えています。その中のひとつのヒントを書いておきます。なぜヒントなのかというとまだ考えがまとまっていないことと、これについては一本の投稿にまとめるつもりでいるからです。なのでここではヒントとしておきます。

高畑勲はアニメで初めてロケハンに行っています。そしてアクションではない日常生活3)余談ですが、この日常生活に目線を向けるという行為がどうしてもフランスの歴史学者フェルナン・ブローデルを意識させます。をアニメで再現し表現しました。その結果、2次元にリアルなそして多少のデフォルメが加わった3次元的なもの(モノといってもいい)が入り込む。その結果、モノは3次元をくだる。

これがヒントです。このヒントは考古学をやっている人からすれば、これからぼくがやろうとしていることをある程度分かると思います。わからない人は今度の投稿を見てください。

さいごに

ぼくはいま確実に高畑勲が遺したものを受け継ごうとしている。と自負しています。この受け継ぐということが2018年4月6日4時過ぎ以降のぼくの課題。

今回の高畑勲展はそんな個人的な課題を再認識できる良い展示でした。考古学者が「高畑勲がアニメーションに遺したもの」を受け継ぐとどうなるのか、ぜひぼくとともに見ていきましょう。

ちなみに、うまくいけばですが、高畑勲の遺作「かぐや姫の物語」の月の住人がかぐや姫を迎えに来るシーンについての考察もいつか書くかもしれません。お楽しみに。

図版引用文献

NHKプロモーション・東京国立近代美術館製作 2019『高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの』図録:69頁

 

脚注   [ + ]

1. この忘れるという概念もぼくが今後、歴史を語るときに重要になってくるので、良かったら頭の片隅に置いといてください。
2. 叶精二 2013 「「かぐや姫の物語」高畑勲論 「弁証法の人」高畑勲監督の到達点」『キネマ旬報セレクション高畑勲「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「かぐや姫の物語」まで』26-34頁:26頁
3. 余談ですが、この日常生活に目線を向けるという行為がどうしてもフランスの歴史学者フェルナン・ブローデルを意識させます。

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