さて、どうしようか?

久々の投稿

さて、本来なら先々週の水曜日に考古学に関する文章を投稿する予定でした。そのため「考古学とは?」という第一段目の考古学に関する文章はもうほぼ完成しています。ちなみに、その文章では考古学の目的について書いていて、恐竜や宝探しや冒険と考古学の関係性についても書いています。

しかし、この投稿は見送りました。その理由をこの投稿で述べていきたいと思います。

考古学の奥深さを実感。。

非常に情けない話ですが、ここ最近になって考古学の奥深さを実感、再認識しています。なぜその認識に至ったのかというと、ぼくが感じていた考古学の問題点をもう一度、専門的に洗い出そうと考え、それに関する本を読んだり、考えたことが理由です。

先に書いた「考古学とは?」という第一段目の投稿は考古学を知らない、「考古学から遠いところにいるひとたち」へ書いています。しかし、次の次に用意しようと思っている、「いまを睨む考古学(仮題)」は「考古学から遠いところにいるひとたち」だけじゃなく、「考古学の世界にいるひとたちへ」も書こうと思っています。

なぜなら、考古学者にもぼくの考えを知ってほしいからです。

また、書こうとしていることが、非常に独特なので、いろいろな手続きなども必要です。その手続きとは、さまざまな本を読み裏打ちされた、自身の意見を述べること。になります。

そのため、今は色んな本を読んでいます。かつて読んだ本も再読し、未読だった本も現在トライしているところです。またぼくの考古学への問題意識は歴史学や歴史観が大きく関わってくるので、それに関する史学概論や歴史哲学の関連本、そして何かヒントはないかということで思想書なども読むことに。。という風に広がっている最中なんです。

こうなると収拾をつけるのが難しくなり、カオスになってくる。今はその状況にあります。そして重要なのが、ぼくが目指している考古学像はもしかしたら、考古学を逸脱していくことにもなる。という認識も強くなってきました。現に考古学がいま、ぼくの頭の中でさまざまな学問や事象と重なり結びつき、つながりを持とうとしているところです。

もう少しで何かが見えそう。そんな感じが一週間以上続いています。

勉強を拒む壁

そして、一番大きな問題は勉強をしようとしてもそれを拒んでくる壁があることです。かつてなら、岩波新書などの文庫本なら一日で完読できたにもかかわらず、最近は100ページ読めれえばいいほう。ひどいときは30ページにまで落ちる日もあります。

その勉強を拒む壁は、「肩こり」です。ぼくはもともと極度の肩こり体質で、ちょっと無理な姿勢を続けると一瞬で肩や首がこります。なのでいつもは心がけているんですが、今は常に肩がこっていて、しかもこれまでにない凝り方。

具体的に言えば肩や首に常に力が入っている感じです。

非常につらい。この投稿を書いている今この時も、この肩こりに苦しめられているわけです。

そんな肩こりも相まって、思いのほか勉強や読書が進まず、考古学に関する投稿も遅れているというのも事実です。

まとめ

現状はこんな感じで、もう少しの時間が必要です。なので、このブログの本域に入るのはもう少し後にします。そしてその間ですが、このブログは、雑多なそしてゆるい話を不定期に更新していくことにしました。

雑多かつゆるいと言っても、ひとりの木ということで、木なるような話をしていくつもりではあります。

考古学に関する投稿は、今月7月初旬には再開して、このブログの本域に早く入っていこうと思います。

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「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

このブログは、来訪者のみなさんに、ぼくの眼鏡で見た世界を書き表すことによって、色眼鏡を提供すること、それを目的としています。 世界は、正方形でも、まんまるの球体でもありません。見方によって世界は変化します。色眼鏡をかけることによって、それが促されるのです。その色眼鏡をはずし、元の世界をみたとき、あの色眼鏡が見せた世界は何であったのかを考え、「ひとりの木」を育ててほしいと思います。それがこのブログの目的です。

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