意味のない話 備忘録的な。。

勉強をしていて

ここ最近、考古学に関する投稿のために、様々な考古学の入門書や歴史哲学関連の本、史学概論の本などを読んでいます。その時、本という紙の集合体に印刷された文字から様々な問題が投げかえられます。

ぼくはその問題に一つ一つ答えていかなくてはいけません。

さて困りました。作業が多く大変です。ぼくは過去を扱う学問、具体的に言えば歴史学と考古学は過去という魅力的な存在に囚われてしまう。という問題意識のもと、このブログを開設しました。

しかし、この問題意識のみで突っ張るのではなく、いろんな意見が聞きたい。だからこそ先述したように様々な本を読んでいるわけです。その分、論理的に整合性が高い知を多く知ることができますが、多くの意見を知ったとき、ぼくの頭は一種の混乱状態、カオスになってしまうのです。

そのカオスの中にいると、ぼくの問題意識はただの自分らしさの確保のための言説ではないのか、という自己批判も起きてくる。そこが非常に苦しい。今はその苦しさの中にいます。

何をすべきか

詳しくは、考古学に関する投稿で書きますが、ぼくは考古学の汎用的な側面を大切にしたいと考えているわけなんですが、そこを拡張すると、考古学ではない何かになってくる可能性もある。

ということは、新たな領域を造らないといけない。たいへんです。

正直、まだ頭がカオスな状況で、まとまりがないため意味不明な不明瞭な文章になってしまっていますが。とりあえず何か投稿ということで、この投稿をしました。

次週の水曜日には考古学についてまず一回まとめようと思います。

では、また。

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「ひとりの木、考古学」は、色眼鏡を提供します。

このブログは、来訪者のみなさんに、ぼくの眼鏡で見た世界を書き表すことによって、色眼鏡を提供すること、それを目的としています。 世界は、正方形でも、まんまるの球体でもありません。見方によって世界は変化します。色眼鏡をかけることによって、それが促されるのです。その色眼鏡をはずし、元の世界をみたとき、あの色眼鏡が見せた世界は何であったのかを考え、「ひとりの木」を育ててほしいと思います。それがこのブログの目的です。

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